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essay

美味しいパンよ、

いつも、美味しいパンを焼いているので、遠くても買いに行く店がある。そんな店でも、食パンは、スライスして売っているのに吃驚する。というか、がっかりする。とくに夕刻、店仕舞いの時間が近づくころ、そうなのである。 家で切る手間を省くというサーヴィスをやっているのか、販売利益の効率など、いろいろ訳はあるのだろう。それにしても、食パン(パン・ド・ミー)をあらかじめスライスして売るというのは、食パンをわざわざ […]

雪鍋という鍋

秋が深まった頃、甲府に出かける用事があった。駅を出たとたん、山梨放送のインタヴューにつかまった。 「お好きな鍋はなんですか?」 とっさに出てきたのは、 「雪鍋だな」 大根おろしをたっぷり鍋にいれ、鱈、豆腐、白菜、白葱、白滝、白い茸…白い具ならなんでも煮込む。「白」をはらわたに浸み込ませて少し身心が潔くなるといいのだけど… (このインタヴユーが放映されたのかどうか) そんな効果があるのなら、大企業と […]

いつも汚れた海を泳いでいると……

いつも汚れた海を漂っていると、その水の汚れていることに気がつかなくなる。それどころか、もっと綺麗な水のところへ行くと、それを毒だと思って避けてさえしまう。これは、生きものが持っている本能に近い慣性的感性反応である。思想や信条も、この反応を利用して大衆化され、日々の生きかたも、この感性反応に支配されがちである。 だからこそ、もっと綺麗な水がどこかにあることを夢見ることを忘れてはいけない。綺麗な水と出 […]

誰がユダか。

ミケランジェロ論を書きながら、ユダのことがとても気になっていた。 ユダは、なぜイエスを売ったのだろう。「私を裏切る者」とイエスは言ったが、ユダはお金欲しさに師を裏切ったのだろうか。それなら、ユダが、イエスの死刑が決ったとき、銀貨を捨てて首を吊ったのはなぜか。 ユダは、師を試そうとしたのだ。師を試すことは、自分を試すことである。ほんとうに彼は救い主キリストなのか。その疑問は、イエスへの判決とイエスの […]

解っていないことを伝え合う大切さを

20世紀は、知っていることだけを伝え、知っていることだけを確信をもって語ればいいと了解し合い、知っていることだけを使って事業を推進しようとしてきた。それが、どんな過ちを犯してしまうか、それを21世紀の10年目に思い知らされた(たくさんの例をあげることができるが、いま、ここでは3月11日の地震と津波、そして「フクシマ」を挙げておくだけにする)。 知っていることを分け合って確認し合うのではなく、解って […]

あの日から二年、

横浜で地震を経験したときには、そのあと、あんなにひどい事態になるとは、思いもしていなかった。 「3月11日」とそれ以降にこの日本列島で起ったことは、それから二年経つが、まいにち、思い返さないことはない。それについて自分にはなにができるのか。なにをしなければならないのか。──マスコミは、この日が近づくと、ことさら、というか、あらためて、この「日」の特集を組む。そういうふうに、特別の照明を当てようとす […]

タイトルとはなんだろう?

作品のタイトルは作者がつけるもんだ、といまでは誰もそのことを疑わない。しかし、絵の場合、作者が責任をもって自分の作品のタイトルをつけるようになったのは、20世紀に入ってからのことである。 ゴッホは、ほとんど自分の作品にタイトルをつけていない。現在われわれが親しんでいる「烏の群れ飛ぶ麦畑」も、ゴッホが死んでずっと後に慣習化した呼び名だ。 タイトルと作品の内容は、それぞれに干渉し合う。そういうタイトル […]

水俣病の歴史は現代日本史の鏡である。

水俣病の特別措置法が今日で打ち切られる。今後は、どんな水俣病の発症者が見つかっても相手にしないというのである。 いままでも、現実に水俣病としか考えられない病状を見せている人に、住んでいた場所や発症時期が規定の外であるというだけで認定してこなかった日本政府である。水銀の毒性の有効期間を規定しているのは現代科学である。一つの立場としての「科学」の実証で、世界の「全現象」を判定できないことを思い知らされ […]

画の六法の読みかた

『美を生きるための26章』の最後の章で、ボクは「画の六法」の解釈をしていて、結構解ったつもりになっていたが、なんと浅はかだったか、といま反省している。たとえば、「応物象形」を「物に応じて形を象(かたど)る」と訓(よ)んでいるが、そう読むかぎり、近代合理主義の解釈に溺れていることに気がついていなかった。「物に応じて形を象る」のは近代の「写実」の方法である。ここは、「物と応じて形を象る」と訓まなければ […]

門出を祝って

Aさん、Sくん、結婚おめでとう! そして、今日の二人の姿を見守っておられるそれぞれのご両親にも、おめでとうを申上げます。桜が全開でお二人の門出を祝っています。 Sくんは、ボクが横浜国立大学に勤めていたときの最後のゼミ生の一人ですが、ボクが退職して私塾を開いてからは、その運営を助けてくれている頼もしい仲間の一人で、いまは、ボクの年若い友人と呼びたい。もう十年近い交流が続いています。 半年ほど前、Sく […]