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essay

綿毛をめぐる断想

木下長宏 横浜の海沿いの街、港に近い湾岸道路に面した集合住宅に、ボクは住んでいる。背後は外人墓地などを擁する港の見える丘で、丘の側面を削った崖沿いに開発された住居地である。 裏道へ散歩に出ると、崖に沿う小径があって、ところどころに、ベンチや、子供らが遊ぶための、公園とは名ばかりの広場もある。もうひと時代もふた時代も前なら、漱石の『門』の舞台を二重映し出来たかもしれない。丘の上に小学校があるらしく、 […]

プラスチックの海をどう泳ぐか

以前にも書いたことだが、ボクは30代のころ、プラスチック製品を使わない生きかたを試みて完全敗北し、今日に至っている。このごろ、やっとプラスチック・ストローを使わない意識が、世界に拡がってきた。ボクももういちど30代の心がけを取り戻してみようか。 都市や町の名前表記をひらがなにするのも嫌だと書いたのはつい先日。都市や町の表記をひらがなに換えることとプラスチック生活を満喫しているのと、どこか、似ていな […]

街がだんだん平仮名になる

ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、フクシマ、–––どれも、本来漢字の顔を持っているのに、片仮名にされることによって、特別の意味を負わされている。負わされてはならない悲劇の意味である。 このごろ、ちょっと読みづらい漢字の地名が条例で平仮名に変えられる市町村が増えてきた。読み易さと通り安さを考えての公的処置なのだろうか。その処置によって、その土地の固有のなにものかが捨てられている気がして、ボクは嫌だなと思 […]

たとえば、日本美術史は

たとえば日本美術史は縄文弥生古墳時代をなぞるようにすませて飛鳥時代からたっぷり聞かされるだが時の長さを均等に積み重ねるならば飛鳥から現代までの時間は日本列島の歴史の時間の15000分の1500ほどに過ぎない飛鳥と呼ばれる時代に入るまでの長いながい一万三千五百年人びとはいまのわれわれと同じようになにかを考えなにかに悲しみなにかを怒りなにかを喜び壊されては作り直しまた壊されては作り直し生きてきたはずだ […]

笈田ヨシ「蝶々夫人」観劇ノート

笈田ヨシさん演出の「蝶々夫人」を昨日、池袋の東京芸術劇場で観ました。 素晴らしい「蝶々夫人」でした。 これまで、おそらく世界中で何百回何千回と演じられてきた「蝶々夫人」のなかで(それをもちろん全部ボクは観たわけではありませんが)この笈田ヨシ演出「蝶々夫人」は、それらの頂点に立つ作品になるだろうというのが、観終わった後の強い感想です。 これまでの「蝶々夫人」は、なんと言っても、20世紀初頭のヨーロッ […]

2016年の読書より

2016年も、いろんな本を読んだ。いただいた本も多いし、ウェブの通販でもずいぶん買った。 ときどきは、書店へ出かけて、手にとってぺらぺら眺めてみるのは、やめられない。通販では、内容予測がほぼ確定している本しか注文しないが、店頭では、思いがけない本をみつけたり、それを買って帰って読んで、いろいろ教えられたり、新しい楽しみと出会ったりする。 たくさん読んだこの一年の読書のなかから、記録しておきたい出来 […]

食品廃棄禁止法を日本に、世界に。

フランスでは今年の二月「食品廃棄禁止法」を成立させた。このところ、テロと戒厳令ばかりに目が行きがちだが、これは、みんなもっと注目し、日本でも、仮想の敵に備えた安保法案なんぞにうつつを抜かしていないで、真剣に考え取り組むべき法案ではないだろうか。 これこそ、人類の行く末を見つめた法律であると思う。 2016.4.19

鶴見俊輔さん追悼

鶴見さんが亡くなった。いつか、その報せはあるんだと自分に言い聞かせていたが、ほんとに知らされると、寂しい。 鶴見さんは、ボクにとって、数少ない「先生」と呼びたい存在だった。大学時代の先生だったという意味でもそうだが、大学を出てからもずっと、鶴見さんから(とくにその著述から)教わりつづけた。『中井正一』(リブロ・ポート、のちに平凡社ライブラリー)を書くように勧めて下さったのも、鶴見さんだった。 大学 […]

感性を鈍らせるのはいとも簡単……

ボクが、数少ない美味しい蕎麦を出してくれると思う店があって、以前はよく通ったが、近頃は、仕事と住いの関係から足が遠のいていた。ときどき、その店に行きたいと思うことがあっても、忙しさにかこつけて、わざわざ腰を上げなくなっていた―ということは、いつのまにやら「美」に対する貪欲さを鈍らせていたのかもしれない。 先日、久し振りにその店を訪ね、驚いた。味の質を落さないで続けている店主の腕と心意気にも敬服した […]

木田元さん追悼

秋が近づいた徴候(きざし)を、昔の人は風の音や芒の姿に見つけてきた。現代(いま)は、コスモスも季語になっているのだろうか。 ボクは、十月が近づくと、どこからか金木犀(きんもくせい)が匂ってくるのに気づいて、秋が来たなとしみじみ思う。金木犀の香りは、子供の頃に憶えたものだった。 その匂いに誘われ、その年の夏の自分を振り返る──今年の夏は、海にも山にも行かないうちに終った。抱えている二つの本の初校を、 […]