綿毛をめぐる断想

木下長宏

横浜の海沿いの街、港に近い湾岸道路に面した集合住宅に、ボクは住んでいる。背後は外人墓地などを擁する港の見える丘で、丘の側面を削った崖沿いに開発された住居地である。

裏道へ散歩に出ると、崖に沿う小径があって、ところどころに、ベンチや、子供らが遊ぶための、公園とは名ばかりの広場もある。もうひと時代もふた時代も前なら、漱石の『門』の舞台を二重映し出来たかもしれない。丘の上に小学校があるらしく、昼を過ぎると、ランドセルを背負った子供たちが、てんでに小さな群を作って、帰ってくるのに出喰わす。

三月から、そんな子供たちともぴたりと会わなくなった。

外出を自粛させられているが、部屋に閉じ籠ってばかりでは、それもまた体に良くないと、用事のある人にとっては遠廻りでしかない、この崖沿いの裏道を、通り抜けて散歩するのが日課になっていった。

自動車も通らない(通れないほどの)小径である。道の両わきには、雑草がなんの制限もなく生えている。目的もなく通り過ぎることを目的に、そんな道をぶらついていると、両わきの雑草のひとつひとつに、眼差を留めるようになる。雑草などとひとからげにされるが、それぞれに名前があって、それぞれに自分だけの色と形を工夫して花を咲かせている。蒲公英(たんぽぽ)、野芥子(のげし)、薺(なずな)、犬芥子(いぬがらし)、母子草(ははこぐさ)、春紫苑(はるじおん)、片喰(かたばみ)、長実雛芥子(ながみひなげし)……ひとつひとつ、名を備えている。

西洋蒲公英せいようたんぽぽのように明治になってから根付いたものもあるが、多くは、日本列島に古くから自生している草花だ。(中国から渡ってきたものもある。)面白い、と思うのは、これらの草花は、いくつもの名前を持って呼ばれていることである。「薺(なずな)」が「ぺんぺんぐさ」と言うのは、誰でもいる。万葉集には出てこないが、拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)(平安中期)には歌われている。長実雛芥子(ながみひなげし)の別名の一つは、漱石が小説のタイトルにした「虞美人草(ぐびじんそう)」である。

急ぎ通り過ぎるときには、眼もくれなかった草と、ゆっくり挨拶するようになり、なにやら、とりとめもなくものを考えさせてくれる相手になってきた。

獣たちも異名というか別の名前を持っていたりするが、花ほど多くはないようだ。花は、どんな花でも、いくつかの変った名前がつけられ、しかも、それぞれに親しまれてきた。

人間は、動物になら親しみが増せば増すほど、固有の名前をつけて呼ぼうとする。家畜の一頭々々にも、太郎とかジェーンだとか、名前をつけている。ボクの知っている高名な美術史家は、目高めだかを水槽に飼っていて、その一匹々々に「ヨシオ」とか「ハナコ」と名前を付けて可愛がっていた。池に錦鯉を飼っているようなお金持の友だちが、ボクにはいないので確信を持っては言えないが、なかには、池の鯉の一匹々々に名前を付けて、可愛がっている人はいそうな気がする。

それにしても、花と動物への人の愛の深さは変らないと思われるのに、花には名前を(人間臭い名前を)付けて大切に育て眺めている人がいないのは、なぜだろうか。花は一年のうち一か月ほどしか咲かないことに、その原因はありそうな気がする。人間は、花を、花が咲いているときしか注目していないようだ。

花盛りの時期は一か月も続かない。その花を、人間は、花の顔のように思っている。顔のない存在の姿に向かっては、相手にしづらいのである。人類の歴史を眺めてみると、多様な人間のなかでも、平均的な構成をした顔を保っていない人間は、つねに差別されてきた。「平均的な」というのは、それぞれの時代社会で多数を占める権力を持った共同体の都合に合わせて決めた存在形態(様式)という以上のなにものでもないのだが、この規準が数千年ものあいだ地球上に権威をかざしてきたのである。

花盛りの一か月を過し、花を落とすと、後の十一か月は葉だけの身となって、なかにはその葉も根も枯らして、地表から姿を消すものもいる。花の咲かないときにこそ、その生命の活動は最も盛んに営まれている。つぎの開花のときへ向かって、黙々と準備しつつ過している草花の長い静かな時間へ、人間どもは、あまり思いを至さない。

そんなことを取り止めもなく考えながら、道沿いの草花と無言の挨拶を交す日々を始めてまもなく、西洋蒲公英(せいようたんぽぽ)が、とても立派な綿毛を作っているのに出会った。

Dents-de-lion(ダンドリオン ライオンの歯)などとフランス語で呼ばれ、黄色い花弁を勢いよく拡げ並べ(ライオンの歯というより鬣〈たてがみ〉と言った方が相応しい。小さい花だが、凛としているのに、なぜかフランス語は「ライオンの歯」である)、しかし何日間か経つと、花は痩せ衰え、代って真っ白な綿毛を着ける。

その綿毛は完璧な球形で、構成最小部分の一つひとつが竹とんぼのような形をした種子で、その一つひとつが風に乗って飛ばされ、どこか見知らぬ所に着地し、運よく行けばそこでつぎの年の花を咲かせる準備(生命活動)を始めるのだろう。

そんなことは幼いころに教わって知っているのだが、その日に出会った綿毛は、あまりにも見事に均整のとれた球形で、晩春の陽光を浴び、真っ青な空と燻んだ緑色の葉群を背景に、白く細い糸から成る種子を編み上げた球形は、遠くの空の青を透すかしているようでいないようで、真綿のような、暖かさとか冷たさを超えた無重力を見せていた。

このいまにも崩れそうで、凛と張った球形の緊張感を歌った歌人や詩人は誰かいたっけ、そんな考えが頭をよぎり、そのときは思い当る人もいないまま、ポケットにあったiPhoneで、その白い姿を撮影うつしておこうとした。

小さなシャッター音がした瞬間、それを合図にしたかのように、綿毛の丸い形はパッと弾け(まったく音もなく)小さく分解した無数の種子が(種子という語は相応しくない。穂というか、これ以上になく軽く、柔く、物質の手触りのいちばん無ゼロに近い胞子が)ボクの眼の前に拡がり、空中に舞った。その一瞬は、驚きが先立って、空中に散開する瞬間はおろか、弾けてふわりふんわりとボクを包み、漂い始めた胞子にも、シャッターを切ろうなどという考えをすっかり忘れさせ、白い小さい影法師の舞姿を眺めていた。

無数の、ほとんど透明と言ってよい白い胞子は、ゆっくりと散開の塊を拡げ、やがて、みんなどこへ消えたのか、留まっている痕跡も見えない。どこかに、ひっそりと降り立ち、そこで芽を出す準備を、ゆっくりと始めるのだろう。

それ以来、散歩をすると、道端の草花を以前とはちがった気持を籠めて眺めるようになった。そして、綿毛をつけた花に出会うと、挨拶の代りに写真を一枚撮ることにした。

綿毛の生命いのちはほんとうに短かい。「花のいのちは短くて」と名文句を遺した林芙美子は、あのとき綿毛のことを考えていただろうか。花が咲いているあいだの最後の姿に象(かたち)づくるのが綿毛、である。花の変容する美しさのなかでも、最も短命なのが綿毛だ。

ある日の散歩の往路に見つけた野芥子(のげし)は、成熟した綿毛を着け、思わず足を止めさせた。三時間後の帰り道、その綿毛はすっかり胞子を飛ばし、ぐったりとした姿を見せるばかりだった。この三時間に、劇的な変容を遂げていたのだろう。

毎日、こんなふうに蒲公英や野芥子が綿毛へと変っていく姿を眺めていると、その短くも儚い変容に、いくつかの型があることが判ってきた。それは、「序・破・急」の三つの段階に分類できると気がついた。

「序」は、いうまでもなく、人目を惹く色鮮かな花弁を片付け、おもむろに、綿毛らしい美しさを求めている時期である。どこか初々しく、必死で思いを遂げる瞬間を求めている緊張感に満ちている。少しくらい強い春風に煽られても散ることはない。しっかりと萼がくにしがみついて、風に合わせて踊っている。「序の舞」とボクは名付けた。

「破」は、ボクが最初に出会って「綿毛」を教えられた姿。弾け飛ぶ直前の球形を、極度の緊張感をもって捉まえ支えている。無数の胞子一つ一つの先端が別の胞子の先端と極微小点でくっついて、まるで編み上げた細い糸が作る球形となって、微かな空気の動きに震えている。そして、誰が許したわけでもなく、おそらく内部から湧いてくる無言の声が限界に達したかのように、音も立てず、静かにという形容動詞さえ煩うるさく思えるほどの無音の衝動で、その球形を、完璧な球形を、一瞬にして破いてしまう。この時間ときが「破」である。

「破」と「急」はほとんど同時にやってくる。というより、「破」の終りが「急」である。弾けて空中に舞う瞬間。その「破の舞」の一瞬に、どのような言葉を費やしたらいいだろうか。これまで保ってみせていた完璧という語に相応しい球形を、ひと息で、完全に破壊してしまうのである。これ以上にない過激な破壊が無言でなにごとでもないかのように遂行される舞。破裂した綿毛は、ばらばらの最小単位となって風に乗り、猫や人の身体を乗り物にして、旅に出る。

誰もが見事な「急の舞」を舞い遂げるわけではない。飛翔に失敗して萼の傍にうなだれているものもいる。

こんな野の花のドラマチックな舞が、人の目を惹くこともなく、身の周りで、休むことなく、演じられている。

「綿毛」は花の名前ではない。ある種の草花が、ある時期にだけ見せる「花」の姿である。

植物図鑑に「ワタゲ目」も「ワタゲ科」もないが、何種類かの草花に共通する花の生命いのちの形の名、である。春紫苑(はるじおん)や姫ひめ女苑(じょおん)が個別の花の名称とすれば、綿毛は、そんな固有性を持たない、儚い花の生命の一現象を指す名でしかない。

しかし、どこかで、幼い子供が「あ、綿毛の花、見ぃつけた」と叫んだとき、「ワタゲは花の名前じゃないのよ」など説教する人間にはなりたくないな、と思う。


余談

西洋蒲公英はフランス語ではdents-de-lion(ダンドリオン ライオンの歯)と言うと先に誌したが、英語ではdandelion(ダンディライァン)と言っている。フランス語の音がそのまま英語に移されたのだろう。フランスでは、pissenlit(ピサンリ)という別の呼び名がある。pisseピスは卑語で「小便」を意味する。En(アン)は英語のinに相当。 Lit(リ)は「寝床。ベッド」である。「ピサンリ」で「寝小便」の意味になるのだが、フランスでは蒲公英はサラダに使われる野菜だった。日本には文明開化の時代、フランス料理に使われる野菜として移入され、いつのまにか野草(雑草)になってしまった。「ピサンリ」の直接の意味は「寝小便」だが、蒲公英は薬草として寝小便に利くのでそう呼ばれるようになったと言う。和訳すれば   「ネションベングサ」というところだろうか。pissenlitはたいていの仏和辞典にdents-de-lionと併記されている。ゴッホは自分の絵に蒲公英を描いたと報告するとき「pissenlit」を使っていた。

「断想〈失われた時〉を見出すとき(一四七)」『八雁』二〇二〇年七月刊所収