木田元さん追悼

秋が近づいた徴候(きざし)を、昔の人は風の音や芒の姿に見つけてきた。現代(いま)は、コスモスも季語になっているのだろうか。

ボクは、十月が近づくと、どこからか金木犀(きんもくせい)が匂ってくるのに気づいて、秋が来たなとしみじみ思う。金木犀の香りは、子供の頃に憶えたものだった。

その匂いに誘われ、その年の夏の自分を振り返る──今年の夏は、海にも山にも行かないうちに終った。抱えている二つの本の初校を、考えては消し、書き加え、真っ赤にしてもまだ終らない──ふと気が付くと、金木犀の香りが道角に揺蕩(たゆた)っていた。そういえば、喪失感の波が引いては寄せ、寄せては返す、そんな夏だった。

木田元さんが亡くなった。かけがえない人だった。

原典をきちんと読み解き、同時に、情況へ厳しい姿勢を取る発言をして後輩のボクたちの居ずまいをいつも糺(ただ)してくれる、数少ない哲学者だった。

ボクは、学生時代にメルロー=ポンティの訳本〔『眼と精神』みすず書房刊、1966、滝浦静雄共訳〕を手にしたときから、木田さんにはお世話になってきたわけだが、じっさいにお目にかかり、手紙などいただくようになったのは、ずっと後のことである。長いあいだ温めていた「自画像の思想史」という本の構想をお話したとき、とても興味を持って、ボクを励まして下さった。今年の年賀状でも激励の言葉が、独特の細い線の小さい文字で綴られていて、がんばらねば、と思った。その本と苦闘しているこの夏の訃報だった。

元気でおられるうちに、出来ました、と届けたかった。

昨年の十二月初め、小さな本を送って下さった。『対訳 技術の正体』〔デコ刊〕という本で、二十年程前に書かれたエッセイを中心に、東日本大震災以降の小文を集め、その木田さんの日本語に、カリフォルニアで日本文学を教えるアメリカの青年が英訳を並べている。出版社は、木田さんのこの文章を世界中の人に読んでもらいたいと考えて編集したのだろう。

木田さんの『技術の正体』という文章は、ボクは、みすず書房の『哲学以外』〔1997〕に収められたとき、初めて読み、それ以来、ボクがものを考えるときにいつも戻っていく思考地点となった文章である。

われわれは、人間の理性が技術を作ったと思っているが、そうではない。技術の起源は理性よりもずっと古い。技術を人間がコントロールできるというのは、とんでもない思いあがりではないか。人間を「人間」に作りあげてくれたのは技術だ。だからといって、人間の意のままになると思ってはいけない。「人間」とは異質な論理を持った「技術」の正体を、畏怖の念を持ちつつ見極めることこそ、現代の哲学の重要な課題だ──こんなメッセージを伝える小さなエッセイなのだが、これは、哲学や技術/科学の領域の問題に収め切れない、人間の在り方の根源へ眼を向けて発せられたメッセージだ。

芸術の問題に関心を持って勉強してきたボクには、「技術(テクノロジー)」の語源がギリシァ語の「テクネー」であり、ラテン語で「アルス」と言い変えられ、英語やフランス語のart という言葉が生まれたことと思い合わせて、現代の「技術」の扱われ方を愁う木田さんの言葉は、他人事として読み流せなかった。

もともと、「技術」と「芸術」は一つだった。人間がいろいろな経験を重ねて行くあいだに、「テクネー=アルス」という概念が持っていた二つの面が剥され、それぞれ独自の意味を持って機能し出したのが、近代・現代である。しかし、もう別れてしまったのだから、それぞれ無関係な存在なのだと言い切ってしまえるか。無関係だと思い込んでいるのは、人間だけで、技術と芸術は、お互いに別れた相手を思い慕い続けていはしないか。いま「別れた」と書いたが、ほんとは「別れさせられた」と書くべきかもしれない。別れさせたのは「人間」である。

人間は、この数千年のあいだに、技術のお陰で、豊かな生活を築き上げてきた。人間が「人間(ホモ・サピエンス)」になれたのは技術の助けがあったからである。同じように、芸術のお陰で、人間は「人間らしさ(ヒューマニティー)」を獲得してきた。

だからといって、技術は人間が作り出し育てたものだ、と考えていいのか。技術というものは、人間の思惑など気にも止めず、自己運動し、自己展開してきたのではないか。人間はたまたま、その技術の自己展開の僥倖(ぎょうこう)に恵まれただけではないのか。技術者は、それを実現するとどんな結果になるかなどは考えないで、ひたすらその技術が誘う実現に身心を投入する。ときに誰かためらう者が現われても、別の誰かがそれを遂行する。「人間は次から次へと可能性を広げていく技術の自己運動に、ただ酷使されているようにしか思われない」〔同書、8頁〕と木田さんは誌している。

もともと同じところから育ち出てきた「芸術」は、この現代における技術と人間の問題に、どう答えることができるか。

技術の在り方を芸術の立場から憂慮し警告することで〔ピカソを始め、多くの芸術家がこれは実践している〕、この努(つと)めは果せた〔答は出ている〕と言えるのだろうか。抗議し異議を称えることができればこれで芸術の「社会的責任」は果せたと考えること自体、芸術に携わる人間の思いあがりとはいえないだろうか。

技術と芸術は一つだったという考えを、さっきはギリシァ語とラテン語の流れのなかに見ておいたが、古代中国でも、日本でも、エジプト、さらにラスコーなどの原始時代に遡っても、芸術と技術は混然一体だった。とするなら、芸術もまた人間の理性ではコントロールできない自己展開を、じつはしているのではないか。芸術は人間の精神活動の所産であるとヘーゲルが規定して以来〔十八世紀から十九世紀のこと〕、われわれは、芸術を最も人間的なものであり、したがって、人間がコントロールできる領域と考えてきた。それどころか、現代の人間の精神的な危機を救うのは芸術だとすら考えるようになっている。

技術は悪玉で芸術は善玉だ、という考えが、知らない間に身に沁みついてしまったのだ。

こんなふうな考えが蔓延浸透してしまったのは、人間が技術を自分の理性で制御できると思いあがってきた経緯と深く絡んでいるように思われる。

双子の兄弟の片割れである技術の、目覚ましい進歩と活躍を横に見ながら、近代〔現代〕の芸術もまた、そんな活躍を夢見てきた。どうやら、この地球上では、この双子兄弟は別々の道を走り始めて、技術の方が、はるかに早く先を走っていったようだ。そして、ときどき、技術が大きな失敗を仕出かすと、芸術が、そら、お前は無鉄砲に走り過ぎだ、と諌める。

しかし、芸術が技術のそんな快進撃を羨ましく思っていることも隠しようがない。羨ましいからこそ諌める、というのが本音だろう。かくて、芸術家は技術者〔科学者〕と同じ振舞いを「芸術作品」に対して行い、それを「表現」と名づけ、芸術史を記述する者は、人間がいかに芸術を産み育ててきたか、つまり、いかに人間は芸術世界をコントロールしてきたか、その一部始終を綴り、それを「歴史」と呼んでいる。

それでいいのだろうか。芸術をこんなふうに、人間の知と理性の産物、人間が自由に操れる表現物と考えて、歴史を語り情況を分析していて、いいのだろうか。芸術もまた人間の思惑を超えて独り歩き出しているのではないか。芸術は技術のように人間の身体に直接関わってこないから、いっそうその自己運動は見抜き難い。そのぶん、いっそう、人間の心のなかに滲み透って、人間の精神を侵しているかもしれない。もっと「芸術」へ畏怖の念を持って接するには、どんな視点を持ち、どんな方法論を立てればいいのか。──いってみれば、ボクのこの十何年間は、この問いを抱えて、行きつ戻りつしていたと言ってもいい。

校正刷から眼を上げて、ちょっと周りを見渡すと、原子力規制委員会は、審査規準を技術的局面にだけ絞って審査を進めている〔ということは、技術を人間は制御できると考えて行動している〕し、庁から省へ昇格した防衛省は、「集団的自衛権」を「容認」された事実を享けて、大学や研究機関との共同研究の予算を大きく計上しようとしている〔科学技術の軍事利用を拡大させようとしているのだ〕。──自己運動する技術への畏怖など、まったく顧慮しない人たちが、現代世界を動かす実権を握り、その勢力は増大して行くばかりだ。

関西の幼稚園で、園児たちに旧日本海軍の制服を着せ、護国神社の社殿で、軍歌を歌わせ、教育勅語を朗誦披露させている。六歳にも充たない子供らの柔らかい頭脳に住みついた教育勅語の文言は、この子供らが成長したとき、どんな働きをその思考回路や行動に見せるのだろうか。〔これは、芸術への畏怖の念を捨てた人たちによる、芸術表現の政策的活用の極端な例だが、こんなことが繰返し行なわれ、これからもさらに増えて行くだろう。〕

こうした動きを阻止するのは容易なことではない。こうした動きをする人たちが、人間の制御の域を超えた技術と芸術の自己運動に操られているからである。いや、技術や芸術だけではない。資本も自己運動し、人間にコントロールできなくなっている。

現在起っているさまざまな社会現象や経済現象の、経緯は解説できても、因果関係の根源は摘発できない。アイツが元凶だ、ヤツを撃て、そうすれば世界は変る、と言えるような「元凶」は、もはや存在しない。すべての悪人も操られている。世界そのものが人間の手に負えない、そんな時代に突入してしまったようである。

そんなことを考えながら、改めて木田さんの文章を反芻する、「技術は理性などというものとは違った根源をもち、理性などよりもっと古い由来をもつものらしいのだから、理性などの手に負えるものではないと考えるべきなのである」〔60頁〕。この技術の正体を見極めること。これは、ますます巨大化し、自己運動を露わにしはじめた技術文明の前では、「はかない思索」かもしれない、しかし、やめるわけにはいかない、「これを考えぬくことが自分の思想的課題だと思っている」〔20頁〕と書かれている。

この課題を引き継いで行くことが、なによりも木田さんの冥福を祈ることだろう──ここまで書いた時、数年前にいただいた木田さんの『ピアノを弾くニーチェ』〔2009、新書館刊〕というエッセイの一齣が思い浮んだ。

精神に錯乱を来したニーチェは、その後十年余の歳月を、快復することなく、母と妹に看とられて過した。ある日、母が知人の家へ行こうとすると、ニーチェは子供のように後を追いかけてきた。しかたなく知人の家で、ピアノの前に坐らせ、いくつかの和音を叩いて聴かせた。ニーチェは、それから何時間も、その和音の変奏を弾き続け、その音が聞こえるあいだ、母親は安心して知人と話ができた、という。

この痛ましい話のなかに、人間の思惑を超えた芸術の自己運動がどんな働きをするか、それを教えてくれるヒントが隠されているような気がする。

〔これは、短歌研究誌『八雁』に連載している「断想」欄に寄稿したものだが、『八雁』の読者以外の人にも読んでいただきたいと思い、ここに転載する。〕

2014.10.3