ボクが、数少ない美味しい蕎麦を出してくれると思う店があって、以前はよく通ったが、近頃は、仕事と住いの関係から足が遠のいていた。ときどき、その店に行きたいと思うことがあっても、忙しさにかこつけて、わざわざ腰を上げなくなっていた―ということは、いつのまにやら「美」に対する貪欲さを鈍らせていたのかもしれない。
先日、久し振りにその店を訪ね、驚いた。味の質を落さないで続けている店主の腕と心意気にも敬服したが、この「蕎麦」の「美味さ」、微妙な香りと歯ごたえ、そしてのど越しの感触を忘れていた自分に驚いたのだ。この店へ通うのが遠くなって、近隣の店で間に合わしているうちに、自分自身の裡にある「美味しさ」の基準が緩んでしまって平気になっていた。そんな自分に驚いたのである。
「美」というものは、そんなものなのだ。日々感性と頭脳を鍛えていないと、知らない間に鈍ってしまって、とんでもない水準で満足している。周りには、そんな感性を鈍らせて満足させておこうとする仕掛が充満している。
2014.9.14