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作品が用意している三つの感興

仁和寺の御室(延喜四年908造営)に巨勢金岡が描いた馬が夜な夜な部屋を抜け出して近辺の田圃へ稲を食べに行ったという話、内裏の障子の馬は萩の戸の萩を食べたとか、『古今著聞集』に伝える話を、圓山應擧さんは、どのくらい信じて孔雀の絵に取り組んでいたのかなぁ、と大乗寺の孔雀の間にお邪魔しながら、考えたりしていました。 應擧(敬意を表するため旧字で書きます)さんは、享保十八年1733の生まれ、寛政七年179 […]

「鳥」と「海」と「舟」—ボードレールから荘子へ—

十一月十二日(土)のABCのテーマは、 「鳥」と「海」と「舟」—ボードレールから荘子へ— です。 先日、『八雁』に連載しているエッセイの最新版をお送りしましたが、これは、蕪村の「二重のきゝ」のことを考えていて、同時代のヨーロッパの詩や絵画の仕事もこうした「下心」が働かされていることをちょっと考えておきたいと、ヴェルレーヌの「なによりも音楽を」で始まる詩のことを書こうとして、ペンを執ったら、ボードレ […]

ヴェルレーヌの〈二重のきき〉

「二重(ふたえ)にきゝを付」けるのが俳諧物の極意だと、蕪村が言っていることを、あれこれと考えてきましたが、語りながらボクはふいとヴェルレーヌのART POÉTIQUE という詩篇を思い出していました。 そのことを締切が近づいている『八雁』の連載エッセイの話題にしようかなとペンを執ったのですが、書き出すとなんとなくヴェルレーヌではなく、ボードレールのことを書いてしまうことになりました。(それはそれで […]

「六玉川」の描きかた

10月15日(土)のABCは、波止場会館4B&zoomです。 テーマは、 「六玉川」の描きかた と、いたします。 ちょっと蕪村から離れるようですが、蕪村をよく知るための試みです。 前回、蕪村が自作の句「山吹や井手を流るゝ鉋屑」には「二重のきゝを付」けている、と書いたことをめぐって、あれこれ「表現」という行為の機微を考えました。そして、日本や東アジアの画家や詩人歌人に「表現」という言葉はぴったり来な […]

〈「二重にきゝを付ける」ということ〉

九月三十日(金)のABC、テーマは、 〈「二重にきゝを付ける」こと〉 です。 今回は、ちょっと趣向を変えて、当日話すことを、そのまま原稿にしてみました。   で、七ページにわたる配布テクストになりました。資料も、そこに編み込んであります。 そこに出てくる「六玉川」の絵画については、つぎのABCで取り上げたいと思いますので、次回十月十五日(土)までにまとめてみなさまにお送りします。

二重にきゝを付る

蕪村が弟子に書き送った手紙に、俳諧では「二重(ふたえ)にききを付ける」ことを心得て置かねばならないと言ってます。 それについて、先月報告済みの原稿と、絵画にこの方法論はどのように実現されているか、を考える時間としたい、と思います。

<蕪村の「小」を求めて>続き

夏休み前のABC、終った後暑気払いに集まりたかったのですが、この感染者の増え振りでは、いたしかたなく、次回の7月25日(金)は、zoomで集まることにいたしましょう。 添付資料は、前回配布済みの<蕪村の「小」を求めて>をすこし増補したものです。 接頭語の「小」をつけた語のある蕪村の句を集めたのですが、接頭語が「子」になっているのや、常套句として「小」がついている語、そのどちらでもない「小」「子」を […]

<「岩くらの…」再考>と<蕪村の「小」を求めて>

ズームの案内に七月九日のABCのテーマは、 〈蕪村の「小」を求めて〉 と予告しましたが、それから「小」のための資料作りをしているうちに、そこに行き着く前に、ちょっと考えておきたいことが立ちはだかってきました。 それは、 「絵を詠み句を観る蕪村」 とでも題すればいいか。 まずは、この問題の焦点を深めて行くために、前々回勉強した「岩くらの狂女恋せよほとゝぎす」の句を配した一幅の絵を見直すところから始め […]

<蕪村の方へ>3

次回のABCは、6月24日(金)19:00〜21:00 波止場会館4B です。テーマは<蕪村の方へ>の続きとして、<蕪村にとって芭蕉とはなんだったのか>という問題を整理してみようと思います。

武蔵の方へ—「枯木鳴鵑図」を眺める

蕪村より150年ほど先輩の宮本武蔵の描いた有名な絵ですが、いろんな意味で蕪村の極にあるこの「枯木鳴鵑図」。意外な共通点もありおもしろいです。それを勉強することで、蕪村をあらためて見直すこともできるのではないか、という試みをやってみようと思います。