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司馬遷『史記』に刻まれた老子 世界観と思想の大きさは反比例する?

六月二十五日(金)のABCは、《司馬遷『史記』に刻まれた老子》というテーマを掲げましたが、副題として、―世界観と思想の大きさは反比例する?―というフレーズを付けてみることにしました。 司馬遷を読んでいると、中国古代のドラマを楽しみ、また、中国古代文化の知識を得られるだけでなく、文体の奥深いところで蠢いている〈なにか〉を感じます。武田泰淳もそれに衝き動かされて、名著『司馬遷―史記の世界』を書いたので […]

老子は天地の起源を人生の指針とした

『老子』が他の中国の古典と決定的にちがうところは、老子はいっさいの固有名詞を登場させなかったことだ、というのはこれまでなんども言ってきたのですが、そのために、その語句の一つ一つは抽象度を帯びて、そのメッセージは多義的です。老子は、メッセージを多義的にして、誰もが、さまざまな問題がつねに自分の問題として、あるいは、自分の問題を他者の問題として考えることの出来る思考の装置を作ったのでした。第一章の冒頭 […]

岡倉覚三のアジア史構想を覗く

今回は、岡倉覚三が『日本の覚醒』という著書の巻末に、見開きで付けた「年表」を読みます。 岡倉は、ここで「アジア」が本来、昔から、いかに表立たないところで、結びつき合い、それぞれの文化を養い育てようとしていたか、それは「同盟」というような軍事的政治的結びつきではなく、「人類愛」というべき人間的な衝動によって繋がっていたことが見える、弱い繋がりであった。それを、物欲と自己所有欲の強いモンゴル族や近代ヨ […]

老子と無文字文化

3月26日(金)のABCで、日本の<無文字文化>のことを整理しておきました。 この<無文字文化>は決して過去の過ぎ去った遠い時代のお話=歴史ではなく、現代の爛熟した<文字文化>時代にあっても、大きな働きをしていることを、予感として確認出来たと思います。 今日5月15日(土)は、その問題を踏まえて、もう少し先へ進んで行きたいと思います。 問題の一つは、『老子』が書かれたころの中国の<無文字文化>はど […]

岡倉覚三のアジア愛  あるいは、なぜ岡倉はAsia is one.をその後言わなくなったのか

なにかの出来事を「歴史」のひとこまとして語ろうとするとき、それを実証するために、その出来事を目撃した人、経験した人の証言を引用する。当の本人はなにも言っていなくても、その出来事、それに関わった人物の身近にいた人の証言は身近な存在であったというだけで信用度が高くなる。それが、その出来事から遥かのち、何十年も経ってからの回想であっても、その証言者が身近な人だったという理由だけで、信用され引用され、「事 […]

「⽼⼦」再⼊⾨

2021年4 ⽉10 ⽇の<⼟曜の午後のABC>は、 「⽼⼦」再⼊⾨ と名付けましょうか。またまた『⽼⼦』に戻ります。 「⼊⾨」というのは、ボクを含めてみんなで⼊⾨し直すという意味を含んでいます。 「⽼⼦」は、──もっともこの場合「⽼荘」思想はと⾔うべきで、2000年にわたって「⽼⼦」と「荘⼦」はいっしょくたにされ、読まれて来ましたから。──その「⽼荘」思想が、中国⼤陸の知識⼈、とくに詩⼈画家たち […]

<無文字文化>論まとめ

宮澤賢治がゴッホを(ちょうどゴッホが「⽇本」にそれをみていたように)⼤切な発想源としていたことを、前回勉強しました。もちろん、ゴッホは宮澤賢治を知りません。しかし、⼆⼈はとてもよく似ています。⼆⼈ともども、「修羅」を⾃覚しています。 この世の、とくに貧しい⼈びとのために、役に⽴ちたいと強く願い、そこに「まこと」の道を求め、それが成就できない⾃分に修羅を観ていました。(ゴッホは「修羅」という⾔葉を知 […]

宮沢賢治「春と修羅」からゴッホ「星月夜」へ

2月19日(金)のABCは、プルーストが『失われたときを求めて』のなかでときどき使う括弧( )の意味深さを考えるところから、宮澤賢治がこの( )を独特の使いかたをしていること、そしてまた、日本語の文脈のなかで( )はどんな働きをする可能性を持っているかを思い巡らせてみたいと、『春と修羅』の「序」を読んだのでした。 3月13日は、もう少し賢治の詩と( )を追いかけてみます。 「春と修羅」という詩篇を […]

プルーストから賢治へ—喩としての括弧

2月19日(金)のABCは、《プルーストから賢治へ》と名付けました。「賢治」とは宮澤賢治のことです。 6日(土)の「プルースト」で、プルーストの文章のなかで括弧、つまり( )の使われかたがとても意味深く、そのことを考えていると、日本語の使い手では、宮澤賢治が、この括弧を絶妙に駆使していますねって話になりました。プルーストの( )付き文章を見つめながら、思わず脱線していたのですが(この「脱線」こそプ […]