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混沌(Chaos)を生きた芸術家ミケランジェロ

ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo Buonarroti、1475〜1564)は、五つの意味で「混沌(Chaos)」を生きた芸術家でした。一つは、彼の置かれた時代。二つ目は、その芸術表現の目的、三つ目は、彼が表現(芸術表現)のために用いた素材、四つ目が、その方法。五つ目は彼が目指した芸術作品のありかた。そうしたChaosと立ち向かった彼の生きかたから、現代のわれわれは、なにを […]

一つのミケランジェロ論(未定稿)

第1章 芸術の無力さに打ちのめされた男 当時のフィレンツェ、ローマは、とにかく大転変の時代でした。敵王の軍隊が攻め込んだりすると、臆病風を吹かしていちもくさんフィレンツェから逃げ出すミケランジェロですが、すぐに戻ってきます。最初の逃亡は19歳のとき、フランス王シャルル8世がフィレンツェへ入城してきたというのでヴェネツィアからボローニァへと逃げます。54歳のときには、フィレンツェの政変に捲き込まれヴ […]

岡倉覚三「日本美術史」 図版集

図版は断りのない限り『稿本 日本帝国美術略史』[明治34年刊]より転載。 図版をクリックすると本文の該当する段落に移動します。 推古以前 稿本には以下のような説明がある。「この石刻人像は筑後の国八女郡長峰村岩戸山にあった。紀元後527年、継体天皇の時代に朝廷に叛乱して課せられた磐井氏が生前に作った墓に置いたものである。墓跡は岩戸山にある。以前は石人石盾各60枚、石猪4頭 、石馬3頭並列させ墓を守っ […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 総叙

これまで述べてきたところで、日本美術史を終ろうと思う。たいへん不完全なものだが、いまはこれで満足してもらうしかない。完全な美術史を書き上げるためには、少なくともこれから2、30年はかかるだろう。その仕事を遂行するのはきみたちだ。 最初に述べたように、日本の美術史は推古天皇時代から始まる。それ以前にも美術の歴史はあるが、日本のそれは、美術史と呼ぶべきものではない。ひとつには現在のところ史料が少なく、 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 徳川時代(その3)

第二期は、第一期と性格を大きく変える。いろいろな「異分子」(徳川=狩野体制の予期しなかったもの)が入ってくるのである。その異分子の混入振りを述べる前に、第一期より継続し、今日(明治)まで続いてきた狩野派のことを簡単に整理しておこう。 先にも述べたが、狩野派の運動は正信(永享六年1434—享禄三年1530)から始まり、元信(文明八年1476—永禄二年1559)で大成し、東山時代の一つの典型をみせた。 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 徳川時代(その2)

光琳については、いろいろな説が唱えられているが、彼の前に宗達と光悦がいて、光琳が誕生したのである。 本阿弥ほんなみ光悦(永禄元年1558〜寛永十四年1637、行年七十九)は、寛永六(1629)年、六十二歳で没したという説と、寛永十四年(1637)八十六歳で没したという説がある(この説に従うと、天文二十年生まれになる)。いずれにしても、その頃の時代の人である。つまり、光悦は、探幽以前の人で、土佐派の […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 徳川時代(その1)

徳川時代(江戸時代)は、徳川家が天下を執って260年の間、徳川氏独特の文化を形成していた時代である。この時代は、足利時代(室町時代)の影響を大きく受けて作られていった。だから、その特質は「足利式」といっていいのだが、その260年の間に二つの異なった現象が起っている。 一つは、寛永(1624—1644)より元禄(1688—1704)に至るまでの、江戸にみられる動きで、もう一つは、天明(1781—17 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 豊臣時代

豊臣時代(桃山時代)は、いたって短く、永禄(1558〜1570)から寛永(1624〜1644)に至る60年あまりの期間である。この時代は、秀吉(1536〜1598)を中心として動いていった。期間は短いが、美術史においては特別な重要な時代である。 政治的には、鎌倉幕府が生まれて以来、東国武士の勢力が後退し、群雄割拠(下克上)の時代を経て、再び政治の中心勢力が江戸(東国)へ移動するまでのその間の期間で […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 足利時代(その2)

前回述べたように、鎌倉時代の終りごろ、はやくも、可翁や栄賀、明兆たちが宋風の絵を先駆けて描いており、東山時代にはいると、彼らの流れを汲んで、続々と大家が現れる。この時代の有名な画家は、たいへん多い。そのなかで、一流といえるのが14〜5人、二流が38人ばかり。三流となれば、ゆうに170〜80人も数えられる。彼らが、それぞれに、腕を競い合っていたのだ。したがって、この時代の美術を語るのはなかなか厄介で […]