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<土曜の午後のABC> 2020年1月17日「ゴッホの死を巡って」

斎藤茂吉はゴッホの死の34年後、オーヴェルを訪問し、旧ラヴー亭の女将さんからゴッホの死の状況を聞き、それを記録に遺した。 ゴッホの死後書かれた記録の中で、茂吉の記録はかなり早い時点の記録にもかかわらず、誰もこれを採り上げようとしない。ゴッホの死をめぐるさまざまな証言をあつめながら、ゴッホの死について考えてみる。

<土曜の午後のABC>2020年2月28日「ゴッホの絵画—その系譜—モティーフ、絵画思想、彼の求めたもの」

木下長宏が主宰する私塾。今回は「ヴァン・ゴッホの絵画ーその系譜」と題して、「一本の道の彼方」「種蒔く人」から《一本の草の芽の研究》「糸杉」を経て「麦の穂」「麦畑」へ。 <炎の人>のような先入見を捨てて彼の<絵>を観よう。作品タイトルにゴッホ自身がつけたも

混沌(Chaos)を生きた芸術家ミケランジェロ

ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo Buonarroti、1475〜1564)は、五つの意味で「混沌(Chaos)」を生きた芸術家でした。一つは、彼の置かれた時代。二つ目は、その芸術表現の目的、三つ目は、彼が表現(芸術表現)のために用いた素材、四つ目が、その方法。五つ目は彼が目指した芸術作品のありかた。そうしたChaosと立ち向かった彼の生きかたから、現代のわれわれは、なにを […]

一つのミケランジェロ論(未定稿)

第1章 芸術の無力さに打ちのめされた男 当時のフィレンツェ、ローマは、とにかく大転変の時代でした。敵王の軍隊が攻め込んだりすると、臆病風を吹かしていちもくさんフィレンツェから逃げ出すミケランジェロですが、すぐに戻ってきます。最初の逃亡は19歳のとき、フランス王シャルル8世がフィレンツェへ入城してきたというのでヴェネツィアからボローニァへと逃げます。54歳のときには、フィレンツェの政変に捲き込まれヴ […]

岡倉覚三「日本美術史」 図版集

図版は断りのない限り『稿本 日本帝国美術略史』[明治34年刊]より転載。 図版をクリックすると本文の該当する段落に移動します。 推古以前 稿本には以下のような説明がある。「この石刻人像は筑後の国八女郡長峰村岩戸山にあった。紀元後527年、継体天皇の時代に朝廷に叛乱して課せられた磐井氏が生前に作った墓に置いたものである。墓跡は岩戸山にある。以前は石人石盾各60枚、石猪4頭 、石馬3頭並列させ墓を守っ […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 総叙

これまで述べてきたところで、日本美術史を終ろうと思う。たいへん不完全なものだが、いまはこれで満足してもらうしかない。完全な美術史を書き上げるためには、少なくともこれから2、30年はかかるだろう。その仕事を遂行するのはきみたちだ。 最初に述べたように、日本の美術史は推古天皇時代から始まる。それ以前にも美術の歴史はあるが、日本のそれは、美術史と呼ぶべきものではない。ひとつには現在のところ史料が少なく、 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 徳川時代(その3)

第二期は、第一期と性格を大きく変える。いろいろな「異分子」(徳川=狩野体制の予期しなかったもの)が入ってくるのである。その異分子の混入振りを述べる前に、第一期より継続し、今日(明治)まで続いてきた狩野派のことを簡単に整理しておこう。 先にも述べたが、狩野派の運動は正信(永享六年1434—享禄三年1530)から始まり、元信(文明八年1476—永禄二年1559)で大成し、東山時代の一つの典型をみせた。 […]