《喩》としての括弧 補遺 

(  )というのは記号です。

この記号を、宮澤賢治はどのようにして<喩>としてみごとに活かしているかを、勉強してきたのですが、この記号は、その他のピリオド、コンマ、ダッシュ、セミコロン、コロンなどと同じように、やはり、西欧から近代の日本へ移入されたものです。

西洋にあっても、これは言うまでもなく、<文字文化>が作り出したものです。文字表現の豊かさを求めて行くなかから考え出された記号であることは言うまでもありません。

しかし、アルファベットと( )との決定的なちがいは、( )などは、音を持っていない、なんらかの音表出と対応していないということです。文字も記号ですが、文字はなにかの音表出を用意するという根源的性格を捨て切ることができません。その意味で、( )は、楽譜に近い性質を持った記号です。宮澤賢治は『春と修羅』の詩などで、その( )記号と音符の近似性に直観的に気づき、それを喩として活かそうとしていると言えます。

音符は、「音」の「符」(符=記号)ですが、「声」には対応していません。抽象化された「声」としての「音」の記号が音符なのです。「声」を抽象化すると「音」になる。書き誌される音となることによって、「音」現象を限りなく抽象化させているのが「音符」です。音符は文字と逆の志向(こころざしの方向、その記号が目指している方向)を内在させていて、書かれることによって、じつは音符は「声」から遠ざかろうとする記号なのです。

「音符」から抽き出す、産み出すためには、歌うか楽器を奏でるか、別の手段による操作を媒介させなければ、実現出来ません (この「実現」という日本語、フランス語でいうならreprésenterです)。文字は、逆に、書かれることによって、「声」へ近づき、「声」を呼び出 そうとします。そこに、書かれた様態ありかたに、幾種類もの「声」を、その文字を読む人によって、それぞれ固有の「声」を聴き出せる、そういう「声」を内臓しています。

( )のような記号は、<文字文化>のなかから生み出された記号で、言うなれば、純粋な<文字文化>の申し子なのですが、しかし、音を持たない。文字のように声と対応していません。声の表出からは始めから切断され隔離されていることによって、この純粋な<文字文化>の申し子は、—音符もまた<文字文化>の申し子でありながら、音を招び出すための手段の記号として、その記号の位置に徹していて、だから、なにかの道具(楽器instruments=フランス語風に発音すると「アンストリュマン」、元の意味は「道具、器具」)を使えばすぐに招び出せる、逆に言うと、道具を使わない限り「音/声」を招びだせないのに対して、( )や、いますぐ上に書いてしまったが、「 」や/といった文中に挿入されて文章を構成する有機的なひとつの構成要素になっている記号は、その文脈に入り込んでいることによって、<文字文化>が生まれる土壌、地盤となった<無文字文化>の蠢きとでも言えばいいような世界と響き合っているのです。響き合って来る、と言ったほうがいいかもしれません。

純粋な<文字文化>の所産が、純粋であることによって、逆に<文字>の亡霊を出す<口寄せ>のような働きをするのです。

「声」という生命の動きの表出から無関係な表記記号として作られた記号(これは物質といってもいい)が、文章という「声」、つまり生命の動きを内臓している「文字」の群のなかに挿入されることによって、物質が物質ではない生命をもった物体のような働きをするのです。

<文字>はさきほども言いましたように、紙に書かれ印字されたそれ自体は、ただのひとつの形、視覚にしか訴えない記号としてあるのだけれど、それだけ取り出せば「紙と鑛質インクをつらね/ここまでたもちつゞけられた/かげとひかりのひとくさり」(『春と修羅』序)の物質なのですが、それを眼で追えば(黙読すれば、ということです)、文字が集まって文章となっていればなっているほど、なおのこと、その文字(群)が視覚という生命活動を通して、聴覚へ訴える音・声(それを<無音の声>と呼びたいのですが)、そういう<無音の声>を聞かせてくれるものです。

( )は、視覚に訴える限り、声(という生命活動)なき物質であり、朗読のとき( )にぶつかると、どういう声で読めばいいか、苦労させられます。しかしまた、そういう生命なき物質が視覚に拾われることを通して、「声」を招び出すという生命反応を可能にするのです。

<文字>は、それが生まれた(発明された)ときから、<文字以前>の声を亡霊のように、その形の裡に取り込んでいます。それは、それを使う人が、そのつど意識しているとしていないとに関わらず、身体に響かせている<無音の声>なのです。

<無音の声>であることによって、<文字文化>の高度な発達の過程に発明された( )やスラッシュやセミコロンやコロンが、まったく純粋な<文字文化>の畑の収穫物であるにも関わらず、それを産み出した<文字文化>の遺産と響き合おうとするのです。そして、文字が運びきれなかった(十分にreprésenterできなかった)意味やメッセージやイメージを、蘇らせようとする記号として働くのです。

そういう次第で、宮澤賢治はこの( )の魅力にとりつかれ、詩や物語には( )がじつにたくさん使われており、それらは独特の働きをして読者を楽しませてくれることを、まずは『春と修羅』の「序」に見つけようとして、それを《喩としての括弧》と名付けてみたのですが、その喩は、自分のなかのもう一人の自分の声となって、詩一篇を多声音楽(ポリフォニー)へと変貌させている、と同時に、<文字>の表現でもって、人類の遥か昔から営まれていた<無文字文化>の声と息遣いを蘇らせようとしていたことが読み取れます。

<文字>ではないということによって、<文字以前>の姿とその蠢きを招び起してくれる記号が( )であるということです。

多声音楽ポリフォニーに仕立てることによって、自分を産んでくれた文字の、その産みの親その祖先としての<無文字文化>の手触りというか、名残の余韻を引き出してくれるのです。

宮澤賢治は、誰もがご存知のように、岩手の花巻に生まれそこに住み、山や森や川や畑を渉り、星空を仰ぎ、雲や雪や雨だけではない、山や川の生き物たちとも語り合い、そうした対話を通して聴き取ったことを、天文学、地質学の言葉(用語)に置き換え、喩に(文字化)していった稀有な詩人(ひとことで言えば詩人、もすこし丁寧に言えば、宗教的信仰と心情を科学の方法で言語化しようとし、農民—自然に生き住む、言い換えれば自然に命を預けることを生業とする人間—にこそ可能な芸術のありかたを実現しようとした詩人)です。

こういう<自然>のなかに声を聴きとる姿勢こそ、<無文字文化>のありかたを体現していると言えます。賢治は、そうして体得した「声」を、詩や物語(つまり<文字>)に再現リプリザンテして行こうとして独特の括弧の使い方を身に着けていったのだと思います。

プルーストは、その豊穣な語彙で多くの喩的表現を産み出していきましたが、賢治は逆に鉱物学や天文学の用語に喩を見つけようとしていました。プルーストと比べたらとても語彙は貧しいとすら言えます。そういう対照的な喩への姿勢、手法が、かえって二人を結び付けてくれます。( )の喩としての使いかた、という一点を介して。

しかし、こうして賢治の詩を読み聴きとろうとして行くと、喩としての( )が、多声部を成すもう一人の自分の声になっていると言いましたが、この「もう一人の自分の声」とは、ほかでもない「修羅」の声ではないか、と気がつきます。

この( )を使って、賢治は修羅の声を呼び出そうとしていたのではないでしょうか。

(ぜひ、この( )のなかの文字を、修羅の声と仮定して、みなさん、読みかつ聴き直してみてください。)

そのとき、この修羅の声は、もう一人の自分(この場合、宮澤賢治自身)というような規定を超えて、「わたくしの中のみんな」「みんなのおのおののなかのすべて」の声になっているのに気がつきます。この「修羅」を、仏教用語辞典から引いた知識でまとめてしまうと、賢治を縮小して見てしまうことになるでしょう。賢治の発想源はもちろん仏教界の教える修羅にありましたが、賢治はそれを借りて、詩の想像力の世界へ放ち、「修羅」と名付けています。つまり、仏教用語を喩として詩の文脈のなかに解放させているのです。

ここを読み間違えないようにしたいです。

この「修羅」は、ですから、「人間」に昇格する一歩手前の姿(これが仏教的解釈の「修羅」像)というより、人間だれもがその内部に住まわせている、もう一人の自分の姿—逆にいうと、それこそもっとも人間的なありかた、そしてそれこそ自分の姿だと思わせるありかた—を賢治はイメージし創り上げようとして、「修羅」という言葉を選んでいるのだと思います。