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岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 平安時代(その2)

空海時代以後の美術の変遷。 空海時代の次に来るのは、系統づければ延喜時代である。延喜時代はおよそ100余年、中国のモデルに倣ならうことなく、過去の文化を消化して日本的な文化をつくった。とはいえ、天平時代の影響は充分受けているので、そのありかたは、ちょうど中国とインドの影響関係と似ている。(中国へ北インド僧やインドへ勉強に行ってきた中国の僧侶・学生が中国(唐)文化を作ったように)唐文化の影響下に育っ […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 平安時代(その1)

平安時代の初期は空海時代である。桓武天皇が即位した延暦えんりゃく元年(782)から清和天皇即位の貞観じょうがん元年(859)までの七、八十年を指す。空海が唐からもたらした文化が熟したころ、次の金岡時代がくる。 天平の最後はだんだんと美術が衰えていった。最盛期と比べてみると、それでも現代に比べれば「大いに優」れているのだけども、彫刻に現れていた精神を喪失し、力ある表現は無規律になされ、「美なるもの」 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 天平時代(その2)

同じ三月堂の金剛神(塑像、173.9cm)は、東大寺の守護神である。大金剛、つまり天竺の武器(印度の『ヴェーダ』に出てくる)バジュラ(サンスクリット語でvajra)の大きいのを手にして、忿怒の姿をしている。その「作風」は梵天(月光菩薩)に似ている。梵天(月光菩薩)を女性とすると、その兄弟か従兄弟くらいの関係にあるものといっていいだろう。頸あたりの肉は少し肥りすぎているが、じっくり見るとその「肉取り […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 天平時代(その1)

いよいよ奈良時代のピークといえる天平時代に入る。この時代は、前の二つの時代、つまり、推古時代、天智時代の勢いを受けて、それを一層の高みへ到達させたもので、この時代には、ことさらに朝鮮や中国、インド・ギリシァ風の影響は認められない。推古時代に築かれた作風がますます「精巧」となり、天智時代に入って来た「新風」(外国の作風)が日本化されて一つの「進歩」をみせる時代である。その展開ぶりは、ちょうど中国唐時 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 天智時代

とくにこの時代を設定する必要はないと主張する人もいる。しかし、私はこの時代は必要だと思っている。その理由は、天智時代という時代の美術は、単に推古時代の美術の発展した姿というだけではすまされないところがあるからである。 細部にわたって研究すれば、この時代にしかない一種独特の性格が天智時代にはある。法隆寺金堂の壁画と、この壁画に囲まれている仏像とを比べてみるだけでもいい、その様式・雰囲気など全く別の種 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 推古時代 (その2)

さて、六朝の時代に美術がめざましい展開をみせたのは、奨励の方法が当を得ていたからである。圧制によって美術を奨励するというのは、決してほめられることではないが、社会がじゅうぶん発達していない時代にあっては、それが「良法」(効果的な手段)となることがある。さらに、もう一つの要因がそこに重なっている。それは、鑑識の議論が盛んに行われたことである。 六朝以前の画論は、かんたんなものしかなかった。さきに紹介 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 推古時代 (その1)

すでに述べたように、推古以前の時代、日本文化の基礎をつくったのは、太古大和民族の自然な勢いによってだったが、推古時代に入ると、急激に文学美術は華やかさを増してくる。そして、その活発な活動を実現させたのは、ほかならぬ外国との交流である。日本人はもともとから優美な性質を持っている人種だったが、外国との交通が活発になる以前は、素朴で淡泊な境遇を作っていた。応神天皇(5世紀前半の天皇)の頃から外国の工芸の […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 推古以前

どこの国でも、美術の始まりは太古の時代にある。日本だけが、そうだとはいえない。美を好むという感情は、人間の本性で、未開の国には未開の国としての共通の特性がある。アフリカやオーストラリア、アメリカ大陸の未開地域から出てくる器物などは、一定の共通した形状、紋様があり、人類学者の中には、人類の起源は一つだという説を唱える者もいるほどだ。その説は少し極端だと思うが、人類はいつごろから美術というものを作るよ […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 序論

世間では、歴史というものは過去の出来事を集めた記録である、だから、それは死物の集積にすぎない、と考える人が多い。しかし、これは、大きな間違いである。歴史というものは、われわれのこの身体の中に生き、活動しているものなのである。昔の人が泣いたり笑ったりしたことは、現在のわれわれが泣いたり笑ったりする、その源泉となっている。昔の人があんなふうに、あんなことで泣き、笑いしたから、いまのわれわれも、こんなこ […]

岡倉覚三「日本美術史」を読む 第一回 2008.6.6,14

はじめに 6月から15回にわたって岡倉覚三「日本美術史」講義の現代語訳(未定稿)を作っていこうというわけですが、この講義は明治23、24、25年の三年にわたって(一年単位で)「美学及美術史」という科目名の下に行われたものです。現在のところ岡倉自身の自筆ノートやメモは全く遺っていない。以下に整理しましたように、学生たちの筆記録がいくつか伝わっているだけです。「日本美術史」というタイトルも、岡倉自身は […]