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岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 推古以前

どこの国でも、美術の始まりは太古の時代にある。日本だけが、そうだとはいえない。美を好むという感情は、人間の本性で、未開の国には未開の国としての共通の特性がある。アフリカやオーストラリア、アメリカ大陸の未開地域から出てくる器物などは、一定の共通した形状、紋様があり、人類学者の中には、人類の起源は一つだという説を唱える者もいるほどだ。その説は少し極端だと思うが、人類はいつごろから美術というものを作るよ […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 序論

世間では、歴史というものは過去の出来事を集めた記録である、だから、それは死物の集積にすぎない、と考える人が多い。しかし、これは、大きな間違いである。歴史というものは、われわれのこの身体の中に生き、活動しているものなのである。昔の人が泣いたり笑ったりしたことは、現在のわれわれが泣いたり笑ったりする、その源泉となっている。昔の人があんなふうに、あんなことで泣き、笑いしたから、いまのわれわれも、こんなこ […]

岡倉覚三「日本美術史」を読む 第一回 2008.6.6,14

はじめに 6月から15回にわたって岡倉覚三「日本美術史」講義の現代語訳(未定稿)を作っていこうというわけですが、この講義は明治23、24、25年の三年にわたって(一年単位で)「美学及美術史」という科目名の下に行われたものです。現在のところ岡倉自身の自筆ノートやメモは全く遺っていない。以下に整理しましたように、学生たちの筆記録がいくつか伝わっているだけです。「日本美術史」というタイトルも、岡倉自身は […]

異時同図法をめぐって その二

前回は、ヨーロッパ絵画の「異時同図法」を眺めましたが、「異時同図法」を《一枚の画面の中に登場する人物が二度三度描かれ、その人物の行動の時間の経過(物語)が描かれていること》と定義すると、聖エカテリーニ礼拝堂やパナギア・アシヌウ聖堂、ジョットーのスクロヴェーニ礼拝堂に描かれている一連の「ラザロの復活」の絵は、厳密な意味で「異時同図法」を完成させているとはいえない、むしろ、それは、ジョットーの後の世代 […]

異時同図法をめぐって その一

今回と次回のテーマはレジュメにありますように、「異時同図法」をめぐってです。これは、別の言いかたをすると、人類は「時間」「時」をどのように描いたかということを考えてみよう、ということです。 「異時同図法」という用語は、いつころからかよく調べてはいないんですが、日本美術史の世界で使われだした用語です。ボクが手元に持っているのは、ちょっと古い1980年代の辞書なんですが、ヨーロッパの辞書にもこの用語は […]

Z 張彦遠

〈土曜の午後のABC〉も、今日で第一期の最終回です。Zの回ですが、Zは、当初の予定通り〈張彦遠〉。その主著『歴代名画記』を取り上げたいと思います。今日のサブテーマをつぎのように出して、話を進めていければと願っています。 『歴代名画記』──作品のない美術史あるいは、作品がみられない/作品で実証できない美術史 こういういいかたをすると、そんな美術史は成立しえないのではないか、美術史というのは作品があっ […]

Y 尹東柱

1 ユン・ドンジュ(尹東柱)は、朝鮮半島が日本の植民地になっていた最後の時代を生きた詩人です。 彼自身は朝鮮の解放をその眼で確かめることなく、福岡刑務所で獄死しました。治安維持法第五条違反の罪で、懲役2年の刑をいいわたされ、服役中に亡くなったのでした。日本の官憲に殺されたも同然の死にかたでした。 彼が生まれたのは1917年11月、現在は中国国内になる北朝鮮の北方、当時の呼びかたで間島(カンド)省、 […]

X ザヴィエル

今回は24回目、《X》 です。当初 A to Z ということでXの項にはクセノポン(Xenophon)を用意していたのですが、じつはクセノポンとして知られる人物は二人います。一人は、ソクラテスの弟子だと伝えられている歴史家というか文筆家のクセノポン(430B.C.頃。生没年もはっきりしない)。もう一人はエペソスのクセノポンと呼ばれ、彼もまた生没年不詳、10世紀の『スーダ』という辞典風の本に「小アジ […]

W シモーヌ・ヴェイユ

≪第一部≫ 1 シモーヌ・ヴェイユ。人名辞典などを引くと「フランスの女性哲学者」なんて説明がされているはずです。しかし、「女性」はともかく、彼女が「哲学者」と呼ばれるような仕事を遺したことが判るのは、彼女が亡くなってから1947年に最初の遺著(『重力と恩寵』)が出版されて以降のことです。最初に刊行された『重力と恩寵』は、彼女の晩年のノートで、カトリック教徒としての信条や考えが誌されています。シモー […]

V ヴァン・ゴッホ

1 ブログのinformationに、去年はゴッホについて朝日新聞とBTに書きましたなんていいましたが、今年も『司馬遼太郎の街道をゆく』(朝日新聞社))のオランダ篇でゴッホを書いていました。 BTでは、「思想を表現する絵画」、これはゴッホ自身の言葉ですけど、そういう絵画としてとらえることの重要さを説いています。そのこと自体大切なんですが、ただ「思想」といったって、具体的にどんな、なにについてのどう […]