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U 浮世又兵衛

1 「浮世又兵衛」、「憂世又兵衛」ともいわれた「岩佐又兵衛」を、Iの項目として扱わないでUに置いたのは、訳があるんです。Iに置いたのなら単純です。Uに置くことによって「岩佐又兵衛」の複雑な巾の広い姿が見えてくるという考えです。 岩佐又兵衛の代表作はなんでしょう、といって「これ」って一作だけ挙げて答えられる人はいないでしょう。最近、MOA美術館にある「山中常盤物語絵巻」が映像化され、神保町の岩波ホー […]

T 敦煌莫高窟

1 敦煌莫高窟は、敦煌という街(現在は「敦煌市」)はずれ、街から東南方向25km程離れたところにあります。南北に流れる大泉河という川があって、その川際に絶壁がそそり立っている。その絶壁に何百という石窟が穿たれ石窟寺院が建設されています、それが莫高窟です。(敦煌の街とは大泉川でつながっています。) 絶壁の上(莫高窟からいえば尾根に当るところ)から西へ、シルクロードの砂漠が始まります。小さい白い砂の砂 […]

S 坂口安吾

坂口安吾(1906.10.20−1955.2.17)といえば「日本文化私観」「堕落論」といったエッセイがまず頭に浮かぶ。  坂口安吾ってどんな人と尋かれればおおかたは「小説家」と答え、しかしその代表作はと尋かれると「桜の森の満開の下」ぐらいか。初期の「風博士」とかを挙げる人はちょっとひねくれもの、安吾文学の全体を観ないで自分の好みで挙げてるなって印象が強いし、「安吾捕物帖」とか「白痴」と […]

R 幸田露伴

幸田露伴と夏目漱石は同い年です。 二人とも慶應3年(1867)の生まれ。明治維新の前年ですね。漱石(夏目金之助)は、旧暦の慶應3年1月5日、現在の暦に数え直すと、1867年2月9日生まれです。露伴(成行〔しげゆき〕)は、慶應3年7月。23日説と26日説がありますが、漱石より六ヶ月だけ弟です。 亡くなったのは、漱石が大正5年(1916)12月9日。露伴が昭和22年(1947)7月30日。 露伴は漱石 […]

Q ドン・キホーテ

「ドン・キホーテ」は、小説のタイトルでABCの今回のシリーズは作品名ではなく、人物の名前を選んで行こうとしてきたのですが、今回だけは、小説のタイトルです。Qで始まる人物で誰を選ぼうかと考えているとき、ドン・キホーテがボクの前に立ちはだかって、ドン・キホーテを小説論としてではなく、人物論として語ってみようかと思ってみたわけです。 とはいえ、しょせんはセルバンテスという作家が創作した「人物」ですから、 […]

P プルースト

『失われた時を求めて』 A la recherche du temps perdu 〈1〉スワン家のほうへ (1913)    1.コンブレー    2.スワンの恋    3.土地の名、—名 〈2〉花咲く乙女たちのかげに (1919)    1.スワン夫人をめぐって    2.土地の名、—土地 〈3〉ゲルマントのほう (1920ー21)    ゲルマントのほう 1    ゲルマントのほう 2 〈4 […]

O 岡倉覚三

1 去年の3月にミネルヴァ書房から『岡倉天心』を出しましたが、誤植がたくさんあって、読んでいけば当然読者に修正してもらえるものから、そうはいかない年記のミスなど、そのほか、出版社の方からこれは内容とは無関係な問題なのだけど、小見出しの下の本文が一行なのを二行にしてくれって、つまり、これは書き換えるしかないという作業もやって再版が出ました。で、再版は増補版に近い変わり方をしていて、今後はこの再版を定 […]

N 中井正一

1 中井正一については、ボクは二年前に平凡社ライブラリーから『増補 中井正一』を出しています。これは、1995年(もう10年も前になるんですネ)リブロポートから「民間日本学者」というシリーズの42冊目として書き、出してもらった本を増補・加筆したのです。これを読んでいただくのが、ボクが中井正一(ナカイショウイチ)(註)について考えていることを知ってもらうのにいちばんまとまっていると思うので、それと重 […]

L ラスコー

1 ラスコーはフランスの南西部ドルドーニュ地方、昔はベリゴールと呼ばれていた、ヴェゼール河沿いにあります。一帯、石器時代の洞窟があちこちにあるところで、ボクがラスコーを訪ねたのはもう20年も前ですが、自動車を降りて洞窟地帯を歩いてその間にもいくつか覗いてみたいと思うような洞窟があって(標示が立ててありました)、ラスコーに辿り着きます。 ラスコー洞窟は、1940年に発見され(註1)当時はもちろん誰で […]

K 土田杏村

1 土田杏村は1891(明治24)年1月15日、佐渡に生まれました。本名は茂(ツトム)、お兄さんは金二といってのちに土田麦僊として知られる画家になります。 二人とも京都へ出て行き、仲の良い兄弟だったようです(杏村は、いずれ兄が同士たちと創立する国画創作協会の設立宣言書を執筆します)。 杏村は新潟県の師範学校を卒業したあと東京へ出て(東京)高等師範学校(註1)に入学しその頃田中王堂を知り、彼の勧めで […]