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岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 徳川時代(その2)

光琳については、いろいろな説が唱えられているが、彼の前に宗達と光悦がいて、光琳が誕生したのである。 本阿弥ほんなみ光悦(永禄元年1558〜寛永十四年1637、行年七十九)は、寛永六(1629)年、六十二歳で没したという説と、寛永十四年(1637)八十六歳で没したという説がある(この説に従うと、天文二十年生まれになる)。いずれにしても、その頃の時代の人である。つまり、光悦は、探幽以前の人で、土佐派の […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 徳川時代(その1)

徳川時代(江戸時代)は、徳川家が天下を執って260年の間、徳川氏独特の文化を形成していた時代である。この時代は、足利時代(室町時代)の影響を大きく受けて作られていった。だから、その特質は「足利式」といっていいのだが、その260年の間に二つの異なった現象が起っている。 一つは、寛永(1624—1644)より元禄(1688—1704)に至るまでの、江戸にみられる動きで、もう一つは、天明(1781—17 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 豊臣時代

豊臣時代(桃山時代)は、いたって短く、永禄(1558〜1570)から寛永(1624〜1644)に至る60年あまりの期間である。この時代は、秀吉(1536〜1598)を中心として動いていった。期間は短いが、美術史においては特別な重要な時代である。 政治的には、鎌倉幕府が生まれて以来、東国武士の勢力が後退し、群雄割拠(下克上)の時代を経て、再び政治の中心勢力が江戸(東国)へ移動するまでのその間の期間で […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 足利時代(その2)

前回述べたように、鎌倉時代の終りごろ、はやくも、可翁や栄賀、明兆たちが宋風の絵を先駆けて描いており、東山時代にはいると、彼らの流れを汲んで、続々と大家が現れる。この時代の有名な画家は、たいへん多い。そのなかで、一流といえるのが14〜5人、二流が38人ばかり。三流となれば、ゆうに170〜80人も数えられる。彼らが、それぞれに、腕を競い合っていたのだ。したがって、この時代の美術を語るのはなかなか厄介で […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 足利時代(その1)

日本の美術史は、大きく別けると、古代、中世、近世の三つに分けることができる。古代は奈良時代、中世は藤原氏の時代、近世は足利氏の時代といいかえることができる。 そして、奈良時代は彫刻が中心に栄えた時代であり、「理想」を表現しようという考え(「観念」)が豊かに働いていた。仏教は小乗仏教で、人間界と仏の世界には隔りがあると考えられていたから、その考えにもとづいて造られる仏像も、人間の属性から離れた「高尚 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 鎌倉時代(その2)

鎌倉の第二期は、前期の余勢を受けた時期で、伏見天皇の時代、正応年間(1288〜1293)より足利時代(明徳三〔1392〕年、南北朝〔1336〜92〕合一、室町幕府開設)のはじめまでの時代で、たいした発展はなかったというしかない。とはいえ、この時期の著しい特徴は、まず、第一期の剛健の風がまだ残っていて、そのなかに少し優美の傾向が生まれてきたことである。その優美さは、藤原時代や平家時代の優美とはまた違 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 鎌倉時代(その1)

前回までに語ってきたところは、平安時代、つまり藤原時代の概要である。そこでは、二つの運動方向が発生していた。「剛健」と「優美」である。この二つが並走してあの時代を作っていたのだということを強調しておいた。 藤原時代の盛期は、優美が主流を占め、保元−平治の乱が起って、社会の動きが一変し、優美繊弱に対抗する剛健の時代が始まる機運が高まってきた。鳥羽僧正はそういう時代の先駆を行く。剛健の気風が発達して、 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 平安時代(その2)

空海時代以後の美術の変遷。 空海時代の次に来るのは、系統づければ延喜時代である。延喜時代はおよそ100余年、中国のモデルに倣ならうことなく、過去の文化を消化して日本的な文化をつくった。とはいえ、天平時代の影響は充分受けているので、そのありかたは、ちょうど中国とインドの影響関係と似ている。(中国へ北インド僧やインドへ勉強に行ってきた中国の僧侶・学生が中国(唐)文化を作ったように)唐文化の影響下に育っ […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 平安時代(その1)

平安時代の初期は空海時代である。桓武天皇が即位した延暦えんりゃく元年(782)から清和天皇即位の貞観じょうがん元年(859)までの七、八十年を指す。空海が唐からもたらした文化が熟したころ、次の金岡時代がくる。 天平の最後はだんだんと美術が衰えていった。最盛期と比べてみると、それでも現代に比べれば「大いに優」れているのだけども、彫刻に現れていた精神を喪失し、力ある表現は無規律になされ、「美なるもの」 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 天平時代(その2)

同じ三月堂の金剛神(塑像、173.9cm)は、東大寺の守護神である。大金剛、つまり天竺の武器(印度の『ヴェーダ』に出てくる)バジュラ(サンスクリット語でvajra)の大きいのを手にして、忿怒の姿をしている。その「作風」は梵天(月光菩薩)に似ている。梵天(月光菩薩)を女性とすると、その兄弟か従兄弟くらいの関係にあるものといっていいだろう。頸あたりの肉は少し肥りすぎているが、じっくり見るとその「肉取り […]