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岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 足利時代(その1)

日本の美術史は、大きく別けると、古代、中世、近世の三つに分けることができる。古代は奈良時代、中世は藤原氏の時代、近世は足利氏の時代といいかえることができる。 そして、奈良時代は彫刻が中心に栄えた時代であり、「理想」を表現しようという考え(「観念」)が豊かに働いていた。仏教は小乗仏教で、人間界と仏の世界には隔りがあると考えられていたから、その考えにもとづいて造られる仏像も、人間の属性から離れた「高尚 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 鎌倉時代(その2)

鎌倉の第二期は、前期の余勢を受けた時期で、伏見天皇の時代、正応年間(1288〜1293)より足利時代(明徳三〔1392〕年、南北朝〔1336〜92〕合一、室町幕府開設)のはじめまでの時代で、たいした発展はなかったというしかない。とはいえ、この時期の著しい特徴は、まず、第一期の剛健の風がまだ残っていて、そのなかに少し優美の傾向が生まれてきたことである。その優美さは、藤原時代や平家時代の優美とはまた違 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 鎌倉時代(その1)

前回までに語ってきたところは、平安時代、つまり藤原時代の概要である。そこでは、二つの運動方向が発生していた。「剛健」と「優美」である。この二つが並走してあの時代を作っていたのだということを強調しておいた。 藤原時代の盛期は、優美が主流を占め、保元−平治の乱が起って、社会の動きが一変し、優美繊弱に対抗する剛健の時代が始まる機運が高まってきた。鳥羽僧正はそういう時代の先駆を行く。剛健の気風が発達して、 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 平安時代(その2)

空海時代以後の美術の変遷。 空海時代の次に来るのは、系統づければ延喜時代である。延喜時代はおよそ100余年、中国のモデルに倣ならうことなく、過去の文化を消化して日本的な文化をつくった。とはいえ、天平時代の影響は充分受けているので、そのありかたは、ちょうど中国とインドの影響関係と似ている。(中国へ北インド僧やインドへ勉強に行ってきた中国の僧侶・学生が中国(唐)文化を作ったように)唐文化の影響下に育っ […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 平安時代(その1)

平安時代の初期は空海時代である。桓武天皇が即位した延暦えんりゃく元年(782)から清和天皇即位の貞観じょうがん元年(859)までの七、八十年を指す。空海が唐からもたらした文化が熟したころ、次の金岡時代がくる。 天平の最後はだんだんと美術が衰えていった。最盛期と比べてみると、それでも現代に比べれば「大いに優」れているのだけども、彫刻に現れていた精神を喪失し、力ある表現は無規律になされ、「美なるもの」 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 天平時代(その2)

同じ三月堂の金剛神(塑像、173.9cm)は、東大寺の守護神である。大金剛、つまり天竺の武器(印度の『ヴェーダ』に出てくる)バジュラ(サンスクリット語でvajra)の大きいのを手にして、忿怒の姿をしている。その「作風」は梵天(月光菩薩)に似ている。梵天(月光菩薩)を女性とすると、その兄弟か従兄弟くらいの関係にあるものといっていいだろう。頸あたりの肉は少し肥りすぎているが、じっくり見るとその「肉取り […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 天平時代(その1)

いよいよ奈良時代のピークといえる天平時代に入る。この時代は、前の二つの時代、つまり、推古時代、天智時代の勢いを受けて、それを一層の高みへ到達させたもので、この時代には、ことさらに朝鮮や中国、インド・ギリシァ風の影響は認められない。推古時代に築かれた作風がますます「精巧」となり、天智時代に入って来た「新風」(外国の作風)が日本化されて一つの「進歩」をみせる時代である。その展開ぶりは、ちょうど中国唐時 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 天智時代

とくにこの時代を設定する必要はないと主張する人もいる。しかし、私はこの時代は必要だと思っている。その理由は、天智時代という時代の美術は、単に推古時代の美術の発展した姿というだけではすまされないところがあるからである。 細部にわたって研究すれば、この時代にしかない一種独特の性格が天智時代にはある。法隆寺金堂の壁画と、この壁画に囲まれている仏像とを比べてみるだけでもいい、その様式・雰囲気など全く別の種 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 推古時代 (その2)

さて、六朝の時代に美術がめざましい展開をみせたのは、奨励の方法が当を得ていたからである。圧制によって美術を奨励するというのは、決してほめられることではないが、社会がじゅうぶん発達していない時代にあっては、それが「良法」(効果的な手段)となることがある。さらに、もう一つの要因がそこに重なっている。それは、鑑識の議論が盛んに行われたことである。 六朝以前の画論は、かんたんなものしかなかった。さきに紹介 […]

岡倉覚三「日本美術史」現代語試訳 推古時代 (その1)

すでに述べたように、推古以前の時代、日本文化の基礎をつくったのは、太古大和民族の自然な勢いによってだったが、推古時代に入ると、急激に文学美術は華やかさを増してくる。そして、その活発な活動を実現させたのは、ほかならぬ外国との交流である。日本人はもともとから優美な性質を持っている人種だったが、外国との交通が活発になる以前は、素朴で淡泊な境遇を作っていた。応神天皇(5世紀前半の天皇)の頃から外国の工芸の […]