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essay

3月11日を経験して

3月11日の地震と大津波、そのあとに続く惨劇(進行中)を経験したいま、ボクたちの書き語るすべてが試されている。 原発反対の署名がまわってきたらそこに名前を書き込んで、やるべきことはやったつもりになっていなかっただろうか。原発反対運動に反対の立場の人も、原発の存在すらに無関心だった人も、日々供給される電力の総量の3分の1が原子力発電によるもので、一秒間に70トンの熱した海水を海に戻して作られた電力を […]

二月になると

二月は旧い暦では正月だ。 梅だけではない、土の色も、空の色も、春の予感を、ちょっともったいぶってみせている。 枯れたような黒い色をむきだしにしていた桜の枝が、ほのかに薄桃色を滲ませている。 季節(とき)の移りかわりの「かわり」には、どんな漢字がふさわしいだろう。 「替り」は政権交替みたいで、無粋も無粋。 「代り」というのも、入れ代えただけのようで、もの足らない。 「変り」は、化学変化をみせつけられ […]

旧暦を忘れないために

2011年1月1日は、旧暦で数えると、庚寅の霜月(十一番目の月)二十七日なのだが、1月を「睦月」「正月」と言い換え、「2月」は「如月」、「3月」には「弥生」と並列して書いているのを、よく見かける。そう置き換えて、旧い慣し(歴史)を少し学び、現代へ気を配ったつもりなのだろうが、それは、逆に、旧暦を日乾しにしている、現代人の無情な振舞いでしかない。そういうことが平然と行われているのが、気になる。 せめ […]

年の暮れに、

「時代」は、われわれを取り囲む「風景」のようなものだ。 いつも見ているはずなのに、よく見ていない現実の風景。そして、ときおり心の奥にひそんでいる記憶を目覚めさせる懐かしい「風景」。─「風景」はこの二つの層から成立っていて、われわれは、この「風景」の作る場で、生きるしかない。 それにしても、われわれは、その「風景」を日頃はとても粗末に扱い、見ている。その細部を詳しく説明描写してみろといわれてすぐ出来 […]

笑いを忘れたカナリアは……

現代人は、昔の人のように笑わなくなった。笑いかたも変ってしまった。 展覧会などに行っても、「福富草子」の前で、誰も笑っていない(ボクも笑わない)。 「鳥獣戯画」だって、まずは笑うのが目的の絵ではなかったか。「笑いの本願」で柳田國男もいっているような、昔の人の高笑いはできないにしても、昔の人はこれをみて大笑いをしていたんだということを知り直し、もう少しボクたちの暮しのなかに「笑い」を復活させたいと思 […]

コスモスを眺めながら

コスモスの花は、一本だけ手にとってみても、どこか凛々しく可憐である。それが堤などにいっぱい咲いているのをみると、思わず息を呑む。風に逆らわないように揺れる、その揺れかたは、一本一本独特な揺れかたをみせ、自立して生きるということはどういうことかを教えてくれているかのようだ。 人間はちっぽけな有限な存在だが、そうであることを知れば知るほど、無限な世界に包まれていたい、無限な存在と和解し合っていたい、と […]

二日月のこと

こどもの頃、なにかの用事で朝早く、母に連れられて家を出たことがあった。まだ、太陽が昇らない、しかしうっすらと明るさが広がりかけた濃紺の東の空に、くっきりと輝く細い月があった。「二日月よ」と母が教えてくれた。「生まれたばかりのお月さま。」 もうあれ以上にはなれない細さで、あれ以上に輝くことはほかのだれにもできないまぶしさがそこにあった。そのときから、月のなかでいちばん美しいのは二日月だという思いが住 […]

夏の夜は蠍座と始まる

「さそり座」といえば10月末から11月に生まれた人の誕生星座をまず思い浮かべる。本当は、夏の星座だ。太陽が沈んで夜が始まったころ、南の空低く地平線を這うように登場して、広い夜空を仰ぎながら消えていく。 日本列島から眺めると地を這っていて、いかにも「さそり」らしいが、でも昔の日本列島人はこの星座を「魚釣り星」とか「鯖売り星」とか、「籠担ぎ星」「商人星(あきんどぼし)」などと呼んでいた。「赤星」ともい […]

インスタントラーメン

ボクの10代のころは、インスタント食品が出回りだしたころだった。インスタントジュースとインスタントラーメン。これらは、現在の過剰なアレルギー症候群の重大な原因となっていると思うが、ボクの成長期を支えた食物だったことは、否定できない。チキンラーメンに卵をのっけて熱い湯をそそぐと絶品のラーメンができた。いまでも、店の棚にチキンラーメンをみつけるとつい買って帰りたくなる。 塩ラーメンにトマトを煮込むと、 […]

旧暦と新暦

昨日受け取ったDMの日付に「2010年水無月」とあった。旧暦では、まだ、「皐月(さつき)」である。「水無月」は7月12日まで待たないと来ないのだが、西暦での6月を「水無月」といいかえるとなにか格好よくみえるというのだろうか。こういう態度は、旧暦が持っていた深い歴史とその意味を、むしろ軽卒に掻き消している。6月を水無月と書き換えることは、新漢字を旧漢字に置き換えるのとは違う、歴史認識が必要なのだ。い […]