横浜で地震を経験したときには、そのあと、あんなにひどい事態になるとは、思いもしていなかった。
「3月11日」とそれ以降にこの日本列島で起ったことは、それから二年経つが、まいにち、思い返さないことはない。それについて自分にはなにができるのか。なにをしなければならないのか。──マスコミは、この日が近づくと、ことさら、というか、あらためて、この「日」の特集を組む。そういうふうに、特別の照明を当てようとするのなら、「3月11日」を考えるとき、同時に「三月一日」のことも憶い出して考えるようにすべきではないだろうか。
ボクは、シリアのニュースなどに接するたびに、100年まえ、日本の為政者たちが朝鮮半島でやった同質の残虐な弾圧を思い重ね、それをどう自分の生きかたのなかに受け止めていかなければならないか、この二つの出来事のあいだに、目に視えないつながりがある、それを解き明かすのが、歴史を考える仕事だと考えるのだが、きょうは、あの「3月11日」から二年目だと思いを新たにしようというのなら、「三月一日」からはやくも94年が過ぎてしまっていることも思い合わせておきたいと思う。そういう想像力の働きこそ、「3月11日」に亡くなった人びと、その日に大切なひとを亡くした方がたの悲しみ、その後の取り返しようのない出来事の不条理を、できるかぎり早く償い回復していく、大きな力になるはずだとも思う。
2013.3.11