水俣病の歴史は現代日本史の鏡である。

水俣病の特別措置法が今日で打ち切られる。今後は、どんな水俣病の発症者が見つかっても相手にしないというのである。

いままでも、現実に水俣病としか考えられない病状を見せている人に、住んでいた場所や発症時期が規定の外であるというだけで認定してこなかった日本政府である。水銀の毒性の有効期間を規定しているのは現代科学である。一つの立場としての「科学」の実証で、世界の「全現象」を判定できないことを思い知らされたのが、この「2011年3月11日」ではなかったか。

「水俣病」の歴史─病症の発生から、とくに会社「チッソ」と日本政府が見せて来た対応の仕方─は、日本近代史のなかでも汚辱に満ちた歴史だが、それだからこそ、最後の最後まで、なぜこんなことになっていったかを、問い続けこれからの身の処しかたに活かしていかなければならないし、それこそ「3月11日」とそれ以降の出来事に対して教えられるものとなるはずだと思う。

東京電力はちょっとでも「チッソ」に似たことをしてはいないか、日本政府は、特措法を廃棄するという振舞いであの頃の政府がやったことをくりかえしているのではないか。われわれは、ついどこかで、権威の言葉に身を任せて生きてきてしまっていはしまいか。

2012.7.31