いつも汚れた海を漂っていると、その水の汚れていることに気がつかなくなる。それどころか、もっと綺麗な水のところへ行くと、それを毒だと思って避けてさえしまう。これは、生きものが持っている本能に近い慣性的感性反応である。思想や信条も、この反応を利用して大衆化され、日々の生きかたも、この感性反応に支配されがちである。
だからこそ、もっと綺麗な水がどこかにあることを夢見ることを忘れてはいけない。綺麗な水と出会えることの喜びを知り分かち合いたいと、それを探しつづけなければいけない。(じつは、そうしつづけることは、たいへんな勇気がいることなのだ。)
この半年、「ミケランジェロ」と取組んできて、いま、責了のときを迎え、なんだか、こんな感傷めいた思いが胸を浸している。ミケランジェロは、そんなことを考えさせてくれる仕事を遺してきたことは確かだ。
2013.9.4