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「ちはやぶる」歌に辿る日本の美と知の細道散歩

二〇二三年二月二十五日の〈土曜の午後のABC〉は、  「ちはやぶる」歌に辿る日本の美と知の細道散歩 と名付けてみました。 考えたいことは、前回の続き、というか、そのまとめの試みです。 つまり、「ちはやふる…」の和歌一首が辿らせてくれる日本の美と知の歴史の旅なのですが、「歴史の旅」とはちょっとおおげさかな、と「歴史の細道散歩」としてみたわけです。 この歌は、「龍田川」というテーマで、その後一千年に亘 […]

屏風歌から落語へ—「ちはやぶる」歌の想像力

二〇二三年一月二十八日の〈土曜の午後のABC〉は、前回ちょっと触れた在原業平の「ちはやぶる」歌に焦点を当ててみようと思います。 この歌一首から、二つの興味深いテーマが拾えます。 一つは、枕詞「ちはやぶる」の運命とでも名付けますか、日本の文学芸術の歴史の流れのなかで、まさに龍田川の紅葉のように色と形を変えつつ現在にまで流れてきているその言葉の変容振りです。そして、その変容が現在へ問いかけるものを考え […]

鎌倉時代の伝統と近代—作品のない美術史より

暦が新しくなりました。 2023年と書くと、あ、100年まえの1923年9月は関東大震災だったな、と。そして、ことしは卯年だと思うと、12年前の卯年には東北大地震があったな、と喜ばしい連想は押しやられて、こんなことをまず思い浮かべてしまいました。 どんなことがあるかもしれませんが、そのときそのとき出来ることを精いっぱいやっていけたらと、願っています。 みなさんにとって、よい一年になりますように。 […]

作品が用意している三つの感興―作品のない美術史へ

美術全集や美術史は、諸時代の成果を、作品の画像を載せそれ説明して行くという形を取ります。 しかし、それぞれの時代、とくに時代が古くなればなるほど、遺されている作品は少ない。 いまはないのだから仕方がないのだけれど、遺っている作品をどれだけ集めても、完璧な美術史は書けない語れない、ということです。 というより、現在手にし得る作例の背後には、計り知れない失われた仕事が隠れている、ということです。ある時 […]

作品が用意している三つの感興

仁和寺の御室(延喜四年908造営)に巨勢金岡が描いた馬が夜な夜な部屋を抜け出して近辺の田圃へ稲を食べに行ったという話、内裏の障子の馬は萩の戸の萩を食べたとか、『古今著聞集』に伝える話を、圓山應擧さんは、どのくらい信じて孔雀の絵に取り組んでいたのかなぁ、と大乗寺の孔雀の間にお邪魔しながら、考えたりしていました。 應擧(敬意を表するため旧字で書きます)さんは、享保十八年1733の生まれ、寛政七年179 […]

「鳥」と「海」と「舟」—ボードレールから荘子へ—

十一月十二日(土)のABCのテーマは、 「鳥」と「海」と「舟」—ボードレールから荘子へ— です。 先日、『八雁』に連載しているエッセイの最新版をお送りしましたが、これは、蕪村の「二重のきゝ」のことを考えていて、同時代のヨーロッパの詩や絵画の仕事もこうした「下心」が働かされていることをちょっと考えておきたいと、ヴェルレーヌの「なによりも音楽を」で始まる詩のことを書こうとして、ペンを執ったら、ボードレ […]

ヴェルレーヌの〈二重のきき〉

「二重(ふたえ)にきゝを付」けるのが俳諧物の極意だと、蕪村が言っていることを、あれこれと考えてきましたが、語りながらボクはふいとヴェルレーヌのART POÉTIQUE という詩篇を思い出していました。 そのことを締切が近づいている『八雁』の連載エッセイの話題にしようかなとペンを執ったのですが、書き出すとなんとなくヴェルレーヌではなく、ボードレールのことを書いてしまうことになりました。(それはそれで […]

「六玉川」の描きかた

10月15日(土)のABCは、波止場会館4B&zoomです。 テーマは、 「六玉川」の描きかた と、いたします。 ちょっと蕪村から離れるようですが、蕪村をよく知るための試みです。 前回、蕪村が自作の句「山吹や井手を流るゝ鉋屑」には「二重のきゝを付」けている、と書いたことをめぐって、あれこれ「表現」という行為の機微を考えました。そして、日本や東アジアの画家や詩人歌人に「表現」という言葉はぴったり来な […]

〈「二重にきゝを付ける」ということ〉

九月三十日(金)のABC、テーマは、 〈「二重にきゝを付ける」こと〉 です。 今回は、ちょっと趣向を変えて、当日話すことを、そのまま原稿にしてみました。   で、七ページにわたる配布テクストになりました。資料も、そこに編み込んであります。 そこに出てくる「六玉川」の絵画については、つぎのABCで取り上げたいと思いますので、次回十月十五日(土)までにまとめてみなさまにお送りします。

二重にきゝを付る

蕪村が弟子に書き送った手紙に、俳諧では「二重(ふたえ)にききを付ける」ことを心得て置かねばならないと言ってます。 それについて、先月報告済みの原稿と、絵画にこの方法論はどのように実現されているか、を考える時間としたい、と思います。