「六玉川」の描きかた

10月15日(土)のABCは、波止場会館4B&zoomです。
テーマは、
「六玉川」の描きかた
と、いたします。
ちょっと蕪村から離れるようですが、蕪村をよく知るための試みです。

前回、蕪村が自作の句「山吹や井手を流るゝ鉋屑」には「二重のきゝを付」けている、と書いたことをめぐって、あれこれ「表現」という行為の機微を考えました。そして、日本や東アジアの画家や詩人歌人に「表現」という言葉はぴったり来ないのではないか、という問題に行き当って、「二重のきゝ」の問題へ探りを入れました。
この「表現」という言葉を考え直すことによって、ただ「蕪村」にはまり込んでしまうのではなく、「蕪村」から「美/芸術」のいろいろな問題、根本的な問題、現代に関わる問題などに考えが波及していくのも、貴重な体験でした(蕪村の面白さもそこにこそあるように思います)。
今日は、そんな議論の発端になった蕪村の「山吹や」の句の下敷(下心)になった歌枕「六玉川」を、蕪村と同時代(広い意味で。細かく言えば、ちょっと前から少し後の時代)の絵師たちがどんなふうに「六玉川」を(言い換えれば歌枕を)「絵/画」にしていったか、眺めて行きたいと思います。
「六玉川」を画題にして作品を遺している絵師としては、まず鈴木春信です、中判錦絵で6枚組なのですが、メトロポリタン美術館が所蔵する一組と個人蔵の一組。これをじっくり見比べてみたいと思います。春信のほかに、北斎が二種類の「六玉川」。そのほか、鍬形蕙斎、歌麿、広重、貞秀などなど、それぞれの「六玉川」を見せ、興味深いです。