鎌倉時代の伝統と近代—作品のない美術史より

暦が新しくなりました。

2023年と書くと、あ、100年まえの1923年9月は関東大震災だったな、と。そして、ことしは卯年だと思うと、12年前の卯年には東北大地震があったな、と喜ばしい連想は押しやられて、こんなことをまず思い浮かべてしまいました。

どんなことがあるかもしれませんが、そのときそのとき出来ることを精いっぱいやっていけたらと、願っています。

みなさんにとって、よい一年になりますように。

さて、その2023年卯年最初のABCは、まったく新たまらず、去年の暮からの続きです。テーマは、

<鎌倉時代の伝統と近代>

とでも立ててみようと思います。ちょっともったいぶったような、人を喰ったようなテーマですが、なんのことはない、去年12月17日に読んだ『古今著聞集』「画図がと」篇の冒頭の記事をもういちど読み直してみたいということです。

鎌倉時代と呼ばれる時代は、いろんな意味で平安時代の「古代」性を転換させた時代(その意味で一つの「近代」を開拓した時代)です。この時代の人が、自分たちの立位置たちいちから、古代の遺産をどう継承しようとし、じっさいどう変わっていったか、その機微が、内裏の障子絵(絵屏風)への眼差から読み取れるのではないか、—というのが狙いです。

それは、絵画の日本列島におけるありかたの問題なのですが、その絵画における問題が、日本文化の古代から中世への転換期の動向を拓いて見せ、それが現代/近代の問題意識と重なってくる、その辺りをうまく議論出来たらいいな(そこで、いったい「近代」とはなにかということも問題になってきます)と願っています。

遠回りに見えますが。それを目標にまずは、紀貫之の屏風歌を読んでみるところから始めたいと企んでいます。今回お配りする資料は、『貫之集』第一巻の冒頭の22首です。貫之が自信で編集した『貫之集』全9巻の始めの部分です。とりあえず、これを予備知識なしで、読んでみたいのです。