「鳥」と「海」と「舟」—ボードレールから荘子へ—

十一月十二日(土)のABCのテーマは、

「鳥」と「海」と「舟」—ボードレールから荘子へ—

です。

先日、『八雁』に連載しているエッセイの最新版をお送りしましたが、これは、蕪村の「二重のきゝ」のことを考えていて、同時代のヨーロッパの詩や絵画の仕事もこうした「下心」が働かされていることをちょっと考えておきたいと、ヴェルレーヌの「なによりも音楽を」で始まる詩のことを書こうとして、ペンを執ったら、ボードレールの方へペン先が走ってしまい「信天翁」のことを書いてしまったのでした。

ボードレールの詩は、つねに何を詠っても、その詩を書く姿勢は「時代」と「社会」に鋭く向き合っています。それを読み解くのが、まず、ボードレールの「二重のきゝ」の読みです。同時に、彼の詩篇は、キリスト教やギリシァ思想からの引用(というか下敷き)が鏤められていて、それを読み解くのも「二重のきゝ」です。

「阿呆鳥」は、表向きは「阿呆鳥」が詩人、「船乗り」が俗人という喩として読まれるのが通説ですが、これが「船上」の出来事であることに、ボクは興味を持って、『八雁』のエッセイでは、「船」の喩を読み砕いてみようとしました。「船」、つまり詩人も俗人もその「生」を預けている世界の喩。まぁ、なんとも十行あまりの短い一篇の詩が、「深く暗い淵」(「阿呆鳥」より)そのものです。この詩自体が、「海」の喩なのではないか。

そんなことを考えているうちに、ボクは、この「阿呆鳥」一篇は、「鳥」「海」「舟」という三つのキイワードというかキイイメージによって「世界」と「人間」の関係の喩を産み出し、大きな「詩」になっていることに思い至りました。

そのことを念頭に置いて「鳥」「海」「舟」に向かい直すと、この三つは、人類の芸術史の始源イメージでもある、人間が世界(自然)を考えようとするときのキイイメージとして、人びとに働きかけてきたのではないか、という思いに取り憑かれました。

プルーストの『失われた時を求めて』の、この世に存在しない絵の描写も、「鳥」と「海(あそこでは港)」と「船」だったことを思い出してください。この三つのイメージが一つの構図(知的にして詩的な「世界と人間」の関係の喩を語る構図)を作っていることが、なんとも興味深いのですが、今日は、そのもっとも古い例を『荘子』に見つけてみたいと思います。

(まだ、このテーマは着想を得たばかりで、手元の材料が不充分で、これからもっと探して行くと、いろいろ発掘できるだろうと、楽しみです。みなさんもちょっと、心の端にこの問題意識を、春信の「六玉川」の版画の、部屋の壁に貼付けてあった昔の版画くらいに思いを留めておいていただけると、あるとき、あ、こんなのがある、と発見してもらえるかと期待しています。そのときは教えてください。ABCで人類芸術史としての「鳥と海と舟」の系譜が作れたら、たのしいですね!)