作品が用意している三つの感興

仁和寺の御室(延喜四年908造営)に巨勢金岡が描いた馬が夜な夜な部屋を抜け出して近辺の田圃へ稲を食べに行ったという話、内裏の障子の馬は萩の戸の萩を食べたとか、『古今著聞集』に伝える話を、圓山應擧さんは、どのくらい信じて孔雀の絵に取り組んでいたのかなぁ、と大乗寺の孔雀の間にお邪魔しながら、考えたりしていました。

應擧(敬意を表するため旧字で書きます)さんは、享保十八年1733の生まれ、寛政七年1795没。江戸中期の人です。もうこの時代、壁に描いた馬が画面から抜け出すなんてことを真から信じるようなことは出来なかったと思いますが、この話をどこか畏怖の念を持って胸に収めていたのかもしれません。

この大乗寺の「孔雀の間」や二階の長澤廬雪(宝暦四年1754〜寛政十一年1799)による「猿の間」にじっといると、彼らは、巨勢金岡の馬が頭から離れなかったに違いない、と思わずにいられません。

絵に対する心構えは、近代に入って大きく転換していきます。それ以前の姿をわれわれはどのくらい親しく出来るのか、もっともっと勉強しなければいけない、と思うのですが、そのためにも、「近代」という船から出ることは出来ないわれわれにとって、絵なら絵と向かい合って、そこからなにを学んでいるか、あらためて考えておきたい、と思いました。12月2日(金)のABCは、それをとりあげてみようと思います。

題して、

〈作品が用意している三つの感興〉。