G ジャコメッティ

ジャコメッティをサルトルの批評から読み直してみたい。というのが今日の目標です。

なぜサルトルかというと、サルトルの二つのジャコメッティ論は、批評の見本のようなエッセイなのだということが第一の理由。その後、いくつもジャコメッティ論が書かれてきましたが、日本人の手によって書かれたものもありますが、このサルトルの二篇を超えるものはないのです。批評というのはボクの考えでは次のことをやっていなければいけない(やろうとしなければいけない)、そう思ってボク自身も書いてきているのですが、それは、

1)
批評する作家あるいは作品の本質を衝いている/説いていること[本質というのは好きな言葉ではないのですが、とりあえず便利なのでここでは使っておきます。要するに、作家を論じる場合でも作品を批評する場合でも、作家はその作品をどういう意図を籠めて作ったかを見抜き言葉にし、その意図がどういう方法で作品に実を結んでいるか、あるいは実を結んでいないのではないか、いるとしたらなぜそうなっているのかを語り切ること]。そして、それを他の権威の言葉を借りて語るのではなく、自分の言葉で語り切ること。

2)
作者が現存し活躍中の場合、その批評文が作家の考え/意図を衝くと同時に、その意図には入っていなかったかもしれない、作品の意義を見つけだし語ること[これは、作品—作家ではない—を育てることでもある]、そして作家を批評する場合はとくにその作家の今後の仕事に作家自身が納得できる示唆と刺激を与えること[方向を強制するのとは異る。作家を育てるのとすこしニュアンスがちがうからだ。作家を育てるなんてことは、むしろ考えてはいけない。作家は自分自身で育てなきゃいけない]。

3)
作家がすでに亡くなっている場合:鑑賞者[読者]に、その鑑賞者が作品を見ることによって鑑賞者自身の言葉で発見をもたらすものであること。単なる解説は、鑑賞者と作品を出会わさない。鑑賞者が権威ある[と信じる]人の言葉で作品を理解しようとし、自分の言葉/知識/概念でその作品をみようとしない批評、批評者の考えを押しつけるのだけの批評が、現今はびこりすぎている。批評家は、作者/作品と鑑賞者との出会いを用意する媒介人に徹しなければいけない。

こうして三つの目標を掲げてみました。ボク自身なかなか出来ないといつも反省していることですが、サルトルのジャコメッティ論、あるいはカルダー論などは、いささかサルトル流の美文、口を極めた決めつけなどあるとはいうものの、この三つをみごとに実現している文章です。3)は、これからわれわれが判断することですが、1)は、この文章が1950年代、つまりジャコメッティがようやく個展を開けるようになり[その個展の図録にサルトルは文章を寄せたのです]、この文章が書かれてから、15年ジャコメッティは生き、制作します。そして、そういう眼でジャコメッティの仕事をみていきますと、サルトルの批評が1950年という時点のジャコメッティへ示唆を与えただろうことがあらためて納得できる—そういう文章に出会います。

サルトルは、その批評を書くに当って、何かの権威の文を引用して自分の考え、説を裏付けるなどという小賢しいことはしていません。それも現代の批評家がもっと学ぶべきことの一つですが、それよりも学ぶべきこと—これは学ぶとういうより、そのことを知って、あとは自分自身で思考を感じ方と書きかた[言葉の述りかた]を鍛えていくしかないことですが—、それは、サルトルが、作品を前にして感じたこと考えたことを自分の言葉で、綴り、その言葉が言葉として自立して作品を記述していることです。

今回お配りしたサルトルの二篇にボクはちょこっとサルトルが指摘しているジャコメッティの作品の写真を添えたり、ジャコメッティが描いたサルトルの肖像を入れたりしましたが、サルトルの文章を読んでいると、そんな図版はなくても、文章のなかで作品がイメージできてしまう。そんなイメージの喚起力のある文章をサルトルは書いています。それを〈自立している言葉〉というふうに呼んでみました。

《アンガージュマン》[世界はそもそも無意味である。世界に意味を与えるのは人間の行為である。その行為を価値づける根拠は、人間が自由を求めるところにある。作家という者はその作品を通じて、自由の意味を問い、自由の実現のために、世界の全体を引受け、時代の現実に関わるのである]という考えを主張していたサルトルが、ジャコメッティを論じるとき[長いあいだの友人であり、肝胆相照す仲だが、ことアンガージュマンに関してジャコメッティの制作からそれを引き出すのはむつかしい]、彼がどんな視点でジャコメッティの作品とその制作振りを評価するのか。そういう視点から読んでみるのも面白い。

ある意味でこの二篇は、ジャコメッティと向い合いジャコメッティ論に取り組むことによって、サルトル自身自分の主張[思想・主義]を逸脱してしまっているところが読める。

それは決して破綻ではない。生きた思想とはそんなふうに伸び縮みし、流れの勢いや色合いを変えて息づくものなのだ。〈読む〉ということの面白さもそんな発見に支えられている—ということをじゅうぶん堪能できる文章なのです。

まさに生きた彫刻・絵画(家)と生きた批評(家)が出会い、対話する情景がここには読めるともいえます。そして、そういうことを読ませてくれる批評は、やっぱり稀です。

サルトルのジャコメッティの彫刻論「絶対の探究」は、こんな書出しで始まります——「世のそもそもの始まりに身を置こうというジャコメッティの自負と意志を見分けるためには、あの大洪水前期を想わせるような彼の貌をしげしげと眺めるまでもない。」

いきなり、ジョークで始めるのですから恐れ入ります。「あの大洪水前期を想わせる彼の顔」というのは[とくにジャコメッティの大人になってからの顔ですが]どこか原始人を彷彿させるジャコメッティの風貌を指しています。〈ね、ジャコメッティ君の顔はいかにも原始人って雰囲気があるじゃないですか、いやまったく、彼の風貌に彼の仕事の自負と意志が現れているかのごとくですな。かれは、ともかくものごとのそもそもの始まりに身を置いて思索し制作しようとするのですよ〉という始めかたです。このジャコメッティの姿勢[制作における自負と意志]はじつは彫刻のみならずその絵画に対しても貫かれており、いわばジャコメッティの芸術をこの一言でいい切ってしまっていることばです。

ボクが若い頃、ジャコメッティに魅きつけられたのはまずその彫刻からでした。細長い土くれを手でぎゅぎゅぎゃっと絞ったようにして延ばした人体像と肖像をみて、一も二もなくガンときました。それは人間が、それこそもっとも原始的な人間が、土[粘土]を手ににぎってなんかモノのカタチのようなものを作ったときのその感触とプロセスがそのジャコメッティの彫像に実現されていたからだったと思います。つまり[こんなことは後から言えることですが]、ジャコメッティの彫刻像のマチエールは、人間の造形する手の初原的な動きと感触を喚起させるものをもっていたのです。この初原の土の造形は、旧約聖書の創世記に「神は土の塵を以て人を作り、生命を吹き込んだ」とあるそれと通じます。それでこそ、サルトルのいう「世のそもそもの始まりに身を置こうとする自負と意志」なのでしょう。

しかし、こうしてジャコメッティが好きになって、その彫刻をしげしげなんどもみつめていると、その細長い彫刻が見せている凹凸の肌ざわり、その形態、その感触は、じつは掌で土を捏ねたときにできる痕跡とはまったくちがうことに気がつきます。これはなんだろう?ボクはそうやって気がついて考えて、彼の絵画の無数に引かれた線と彫刻の不定型な凹凸とは同じ物なんだ—[立体に引かれた無数の線、デッサンに施された像という実体と像を置く空間との境界を定めようとする無数の面—はほとんど面をなさない点に近い面積しか持たずに外部との境界を探りだそうとしている、それ自体つねに試行でありつづける行為]と気付き、絵画に興味をもつようになりました。

サルトルのジャコメッティ論をボクが読んだのはずっとのち、1970年代の後半かと思います。ボクはそれまでサルトルはほとんど全部日本語訳で読んでいましたので、[ミシェル・フーコーと反対です]そのころ勤めていた京都芸術短期大学の学生でジャコメッティ論をやるというのが出て来て、サルトル全集の『シチュアシオン3』を読んだのが最初だと記憶します。そして、その見事な切り方語り口にそれまでなんとなくボクが考えていたことを鮮やかにまとめてくれていた感がしたものです。「彼[ジャコメッティ]は画家として彫刻に来た」、そして「彫刻家として絵画に来た」(「ジャコメッティの絵画」)などとあって、膝を打ったものです。

サルトルの二つのジャコメッティ論についての読みは、配布したコピーにわりと書き込んでいますので、ここでは繰り返さないことにします。で、この内容報告はそれを読んだうえでのまとめを書いておきます。

3

ヨーロッパの絵画はルネサンスの時代にパースペクティヴの方法を確立し、〈タブロー〉という制度を完成させて、その絵画の歴史を大転換させました。描く[タブローを作る]と言う方法に拠って人間は世界を把握し自分のものにできる方法を手中にしたのでした。その後の絵画の歴史はその人間という個的な存在の世界把握の試みの歴史といえます。

ところで、ヨーロッパの彫刻の歴史に眼を遣ると、このパースペクティヴの発明を彫刻史は経験していません。したがって、彫刻の歴史のなかには「壁画」から「タブロー」へという転換の経験がありません。 ジャコメッティが彫刻に疑問を持ったのは、まさのこの点でした。古代以来の彫刻は不動の材質[大理石やブロンズ]を素材に、その素材に〈人間〉を刻もうとするが、それは結局「遠くからは見えない細部をそれが存在するという口実のもとに表わしている」(全集10.p217)にすぎなく、その彫像は鑑賞者の想像力に依存して成立するしかない。

ジャコメッティはこの矛盾を衝き、「彫像たちに部分のない想像上の空間[=絶対的な空間]を回復させようとした」。なぜ「回復」と、かつては持っていたものを取り戻すような表現を、サルトルは使ったのかといえば、絵画ではタブローの出現によってそれ[自立した想像上の空間]が成立しているからです。そのためにジャコメッティは、絵画の方法を彫刻に試し実現しようとしたのです。それが彼の彫刻であり、そうして彼の彫刻が誕生したとき、ただちに、彼は絵画において、その彫刻で達成したことを試さずにはいられなかった。彫刻のなかでタブローが獲得している想像的な距離の自立[絶対化]が実現されるとき、それはタブローに対して改めて、近代絵画が確立しえていると信じている人間主体と対象との関係—それがタブローという画面のなかに実現されることによって示される距離[空間のありかた]—がまた虚偽にみちていることを知らされるからです。こうしてジャコメッティは自分が彫刻で試したことを、その絵画において試み直す—対象を描くことを初原[いち]からやり直すように鉛筆の線をひく—ことを始めたのです。

ジャコメッティの試ったこと(註)は、こうしてまず絵画の領域と彫刻の流域を従来の概念で区分けすることの無意味さを提示し[これはその語の現代美術がいうまでもなく実践していることです]、彫像を作り、絵を描くときの主体としての作者と描かれた対象との関係性へ根源的な疑問を投げつけたことです[これもその後のミニマリズム、コンセプチュアルアート等に展開されていくところです]。

(註)さっきサルトルの「人間は他人の眼にとって絶対的な次元をもっている」という言葉にこだわりましたが[原始絵画や東洋絵画はまさに、この眼差しで絵を描いているといえます]、遠いものが小さくみえると感ずるのは主客関係のパースペクティブ[尺度]で世界をみている[相対化している]からです。この相対化は近代の人間にとってただちに〈絶対的〉な権威となっていきました。ジャコメッティが探究したのは、そういう権威化した「絶対」でななく、主客関係の尺度が〈絶対化〉したことに対して新たにそれを〈相対化〉する尺度を求めたということです。

4

サルトルはジャコメッティを論じようと取り組むなかで、はからずも自分の立てた主義を逸脱し、そのことによってサルトルは、よりいきいきとした姿をそこに見せているということを先に語りましたが、ジャコメッティ自身もサルトルに論じられることによって、その思索と制作に刺激を受け、成長を遂げました。

さらに面白いのは、そうしてジャコメッティは制作をし、サルトルの思想をも超える仕事をしていったことです。つまり、サルトルに「絶対の探究者」[それはサルトルにとって実存主義的な意味での新しい主客関係の確立を求めることだった]と讃えられつつ、ジャコメッティ自身は方法としての「距離」を探究しつづけることによって、〈主客関係〉を成立させてきた〈主体〉の分裂と崩壊を予告する作品を作っていることです。いいかえれば、ジャコメッティは、サルトルが希求していた「人間科学」の確立をその彫刻と絵画で崩していったわけです。

ジャコメッティの『エクリ』[エクリとは「書かれたもの」という意味](みすず書房1994)に、こんな彼の言葉が収録されており、それを今回の「言葉」に選びました。

 「まったく常軌を逸している。唯一の自己という考え。それ自身馬鹿げていて滑稽だ。」

唯一の、確固たる自己なんてありえないのだ、とジャコメッティは吐き捨てるように言っています。この言葉の意味深さを、われわれはサルトル以降の思想の営みのなかで実感し、確認していくわけです。その意味で、ジャコメッティはその制作において、実存主義の彼方へすでに駆けていた。その例を15点ばかりのジャコメッティの若い頃(15〜18歳)から晩年までの自画像作品を眺めながら考えました[ブログでは著作権問題など絡んでくるのでそれを再録するのはやめます]。

こういう自画像の変遷を眺めていくと、ジャコメッティの仕事がつねに「それが問いかけるあらわれの形の下にあらわれている」というサルトルの評言をあらためて噛みしめ味わいなおすこともできます[サルトルを超えるということは、サルトルを再発見しに戻ることでもあるのです]。

絵画/芸術というのは、こうした〈問いかけ〉のありかたをもっとも根源的な特性としていることはまちがいないといえます。それがあるかぎり、その作品は、人[他者]をひきつけ感動を招ぶのでしょう。

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