宮沢賢治「春と修羅」からゴッホ「星月夜」へ

2月19日(金)のABCは、プルーストが『失われたときを求めて』のなかでときどき使う括弧( )の意味深さを考えるところから、宮澤賢治がこの( )を独特の使いかたをしていること、そしてまた、日本語の文脈のなかで( )はどんな働きをする可能性を持っているかを思い巡らせてみたいと、『春と修羅』の「序」を読んだのでした。

3月13日は、もう少し賢治の詩と( )を追いかけてみます。

「春と修羅」という詩篇を読みます。

この長いその詩を読むと、われわれの思いが、どうしてもゴッホの「星月夜」の絵へ誘われていきます。

そういう機微を楽しみながら、進めていければ、と思っています。


資料:宮澤賢治の短歌「ゴオホ サイプレスの歌」二首。ゴッホ「星月夜」画像とそのエピソードの新聞記事。


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