『古事記』―想像力の坩堝

11月11日(土)のABCは、波止場会館4A(14:00〜17:00)です。

『古事記』―想像力の坩堝というタイトルをつけてみました。『古事記』を、あれは歴史書(正史)ではない、とか、では神話かというと神話ではないとか、いろいろな議論はありますが、とにかく8世紀の始め、文字という記号を使って日本列島に起った出来事を記録しようとした最初の書物であることは確かです。「日本」という国が、自分の出自をまとめて振り返ってみようとして、最初の文字化を試みた書です。

この書が世に現れて千五百年。自分たちはどこからどんなふうにしてやってきていまに至っているかを示唆してくれる<知識と情報の>書でもあり、それを文字に書くということはどんな経験だったのかを教えてくれる<感動と思索>の書であり続けてきました。

歴史家だけでなく文学者や小説家詩人画家にも、さまざまなインスピレーションを与えてきました。一人ひとりが読み直せば読み直すほど、新しい発見を与えくれる書でもあります。

最近は、ボクはこの『古事記』のことを<無文字文化>と<文字文化>の狭間の出来事という視点から考えてきました。そのことを話そうとすると「想像力の坩堝」というタイトルがふさわしいかな、と思った次第です。

 資料は、プリント三枚です。

1)古事記冒頭部分の、ボクなりの渾身の新訳です。(前回この後に続く部分を手書き原稿をコピーしてお配りしましたが、その部分も反省していますので、次回新試訳をお配りします。やっぱり本居宣長に引きずられていたなというのが反省の最大要因です)

2)は、フランス17世紀の思想家ブレーズ・パスカルの『パンセ』より、「人間は考える葦である」の節、全文。原文と木下試訳。

古事記からパスカルへ。 ええっ!と お思いでしょう。

お楽しみに!!