〈文字文化〉時代を支えた〈二軸〉

今回のタイトルは、

〈文字文化〉時代を支えた〈二軸〉

です。

日本列島における美と知の活動だけでなく、思想(思惟)活動/行為そのものが、〈二軸楕円形〉であること、その起源が〈無文字文化〉と〈文字文化〉であり、こんにちの〈文字文化〉の時代にあって、〈無文字文化〉が大きな働きをして、現代の〈文字文化〉を生かしていること、そしてこの二軸がそれぞれのジャンルで独自の表出形態を採って来た(文学美術工芸芸能における「伊勢物語型」と「源氏物語型」のように)ことを、折に触れて考えてきました。

今日は、その知と美の活動の、言うなれば下部構造を形成する政治経済の動きに、〈二軸楕円形〉の原理が働いていることを見届けておこうというわけです。

これに〈無文字文化〉を重ね合わせると、政治経済という社会活動にあっても、二つの軸が働いているからこそ、美と知の活動もそれに呼応して、人間的であることが納得できるのではないでしょうか。そんなことを、見届けていきたいと思います。

 資料は二点。まず、「無文字文化時代と文字文化時代早見表」とでもいうか、何年か前に作ってお馴染みになっている「等分線による「日本史」年表」をもういちどお配りします。ここであらためて〈無文字文化〉の長さ(と重さ)を再確認して、図表の左半分を占める〈文字文化時代〉の「拡大図 古墳時代から現代まで」を二軸の展開というキイワードによって作ってみたのが、二枚目の手書きの図表です。

 明治維新までは、〈武〉と〈朝〉の二つが軸となっていたことを、この表から見届けていただきたい。

〈武〉というのは、のちの〈侍〉階級のこと。つまり、武力によって天下を支配しようとする意識のことです。 

〈朝〉は「朝廷」の略で、天皇を頂点に社会体制を構想形成する意識のことです。

付記。〈無文字文化〉時代には〈朝〉〈武〉の分類はありませんでした。(なかったようです、と言うのが正確なところですが)

 しかし、二軸構造は働いていました。遺っている史料は少ないのだけれど、少なくともヨーロッパの原始社会に見て取れる、絶対者崇拝意識を読み取れる遺品は出てきません。

〈朝〉〈武〉の意識も制度もなかったようで、ということは、縄文一万五千年を通じて営まれてきた原始共同体を領導してきた層はあったけれど、人びとは声による言葉と身体による身振りによって、交流を図り、〈無文字〉による制度を維持していたということが推察できます。

〈声〉と〈身振り〉—〈身振り〉は身体装飾も含みます。つまり、装身具、衣装、刺青なども〈身振り〉です。これが、〈二軸〉の原型だったのではないでしょうか。

 土器や土偶からこの二軸を読み取る作業は、またゆっくり取り組むとして、まずは、〈二軸楕円形〉の原質は〈無文字文化〉時代の一万五千年をかけてじっくりと醸成形成されていたことを確認しておきたいと思います。