「写生」をめぐって

2023年3月11日(土)のABCは、

「写生」という言葉を巡って考えてみたいと思います。

「写生」という語を現代では「スケッチ」の訳語ぐらいに受け止めているのがフツーでしょう。

新潮社『世界美術辞典』もそんな解説をしています。

これは、明治以降、ヨーロッパの芸術思想を学んで行こうとする結果、定着した観念・定義です。

そして、その言葉は、美術の領域だけではなく、文学(正岡子規)でも、さらに文章教育の場面でも(写生文)、大きな役割を果たすことになりました。

しかし、西洋のスケッチの訳語になる前に、「写生」という語は、中国では10世紀(唐末)には使われていたようです。黄筌「写生珍禽図巻」などという作品があります。

日本では、「写生」という言葉は、江戸時代になるとひんぱんに使われるようになりますが、ヨーロッパの「スケッチ」という意味とは違う意味で使われており、しかもその役割が、徳川300年の間に激しく変わって行きます。その様子を、当時の絵師たちの仕事から観察してみようというわけです。

話題は二つのサブテーマに分かれます。

一 江戸時代の人は「写生」という言葉にどんな意味を籠めていたか。

二 「写生」の位置が、江戸初期から後期にかけて、どんなふうに変化していったか。

以下の作品から、考えてみようと思います。

俵屋宗達(生没年不明1600年代前半に活躍)「蓮池水禽図」紙本墨画 掛幅 116.5×503cm 京都国立博物館

尾形光琳(1658〜1716)「五位鷺図」(「鳥獣写生帖」)紙本墨画淡彩 粘葉装 28.3×54.5 京都国立博物

与謝蕪村(1716〜1784)「鳶鴉図」紙本墨画淡彩 双幅 各133.5×54.5  北村美術館

圓山應擧(1733〜1795)「孔雀と松図」絵襖墨画 大乘寺客殿「孔雀の間」