蕪村の蕪村による方法序説

今回は蕪村の愛弟子とでも言えばいいか、11歳年下で蕪村より先に逝ってしまった、黒柳召波の遺稿句集に序として寄せた全文をじっくり、読みたいと思います。

この時代、俳句に限らず、芸道の世界では、直伝は「見て真似よ」で、口伝で遺すことはあっても文書にするということはやらなかったものですが、蕪村は頓着なく種明かしをしているところが面白いというか凄いです。「詩経」から「春風馬堤曲」を示唆された機微もこの文章から窺えるでしょう。

こんな蕪村、この序でも、我が後継者を失くしたと嘆いていますが、絵の方も、俳句の方も、蕪村没後は、明治に入って正岡子規が「ブソンというのはちょっと面白い」と言い出すまで、ほとんど忘れられていました。

人びとがほんとうに蕪村に注目するのは、萩原朔太郎が『郷愁の詩人与謝蕪村』(昭和11年/1936)出版してからだと言っても言い過ぎではないでしょう。

蕪村の文章は古文とはいえ、読みやすいほうですが、しかし、本気で読んでみるとなかなか詠み砕くのに苦労が要ります。で、今回は現代語訳を試みてみました。やっぱり、とてもたいへんでした。「翻訳というのは裏切りだ」と岡倉覚三が『茶の本』で言い放ってますが、そんなところも、感じ取ってもらえればと、私訳も用意しました。