『詩経』から『古今和歌集』へ

前回(11月6日土)、詩経(毛詩)で説かれている「六義」が、古今集を経て、元の意味から遠く離れて使われて行く様子を、急ぎ足で見ておきました(まずは、そんなふうに「六義」という語が日本文化の文脈のなかで変容して行くことを抑えておきたかったからです)。

今回は、その古今集の「序」で試みられた「六義」解釈への百年後の反論と、和歌〔やまとうた〕に対して、当時の人の捉えかたを、仮名序を書いた紀貫之の歌など手がかりに観察して行きたいと思います。