『詩経』から始まる芸術の旅—その2

ここ二、三回、『詩経』を読みながら、芸術とはなにかを考えようとしています。それは、儒教という政治と宗教の複合体に翻弄された詩(芸術)の姿を観察することであり、同時に詩(芸術)の初源の姿を探ることでもあります。 

それは、また、人間の精神というか心/意識の初源の姿を考えることであり、そこから、現在(いま)われわれはどうあるべきかへの示唆を見つけられるのではないか、と考えています。