老子は天地の起源を人生の指針とした

『老子』が他の中国の古典と決定的にちがうところは、老子はいっさいの固有名詞を登場させなかったことだ、というのはこれまでなんども言ってきたのですが、そのために、その語句の一つ一つは抽象度を帯びて、そのメッセージは多義的です。老子は、メッセージを多義的にして、誰もが、さまざまな問題がつねに自分の問題として、あるいは、自分の問題を他者の問題として考えることの出来る思考の装置を作ったのでした。第一章の冒頭、のっけから「道(タオ)と言ったって、道(タオ)はつねづねみんなが了解しているつもりの道(タオ)とはちがう道(タオ)もある」と言っています。

それにもかかわらず、『老子』は伝統的に単義的に読まれてきました。どの註釈者のどの章の解説でもいい、ちょっと開いて下さい。註釈者が、老子の言葉からそのメッセージを「一」義に決定するために、どんなに苦労しているか。(老子が二千五百年まえに、真理は多義的だと言っているにもかかわらず、人びとは「真理は一つだ」と思い込み、一つの真理を求めて、思索を積み重ねてきたのです。)

<土曜の午後のABC>では、老子の本意を掘り当てるために、その文章テクストを多義的に読む可能性を探ってきました。今回は、25章を素材に考えてみたいと思います。

25章に向かい合うと、そこから呼び起こされるいくつかの章が注目でき、それも続いて読んでいきたいと思います。

付録に『史記』の「列伝」に書かれている「老子」を、前回の金曜日その一部を紹介しましたが、その部分をまとめて訳してみたので、ご紹介します。これは、「老子」の伝記として最も古く、その後二千五百年にわたって、これが老子だと人びとは信じてきた老子像です。

これを頼りに、絵にも描かれ、日本でも、明治に入っても大切な画題となっていました。

いまでは、この史記の記事は実証性がないと「信じ」られています。現代(近代)の知は、こうして二千年ものあいだ人びとが信じてきたことを、あっけなく否定してしまうのです。こういう断定のしかたと、「真理は一つ」という考えは、どこかで繋がっているようです。

そんなことを考えながら、『史記』の伝える「老子」像を味わってみたいと思います。