<無文字文化>論まとめ

宮澤賢治がゴッホを(ちょうどゴッホが「⽇本」にそれをみていたように)⼤切な発想源としていたことを、前回勉強しました。もちろん、ゴッホは宮澤賢治を知りません。しかし、⼆⼈はとてもよく似ています。⼆⼈ともども、「修羅」を⾃覚しています。

この世の、とくに貧しい⼈びとのために、役に⽴ちたいと強く願い、そこに「まこと」の道を求め、それが成就できない⾃分に修羅を観ていました。(ゴッホは「修羅」という⾔葉を知りませんでしたが、ほんとうに修羅のように⽣き、絵を描きました。)

この修羅の位相は、<無⽂字⽂化>を象徴しているではないか、と前回考えたのですが、「⼈」つまり<⽂字⽂化>の操り⼿の、⼀歩前の境涯としての「修羅」に<無⽂字⽂化>を重ねてみるとき、いろいろ新しい世界が開けてきます。

「修羅」とは、「⼈」になろうとしてなれない状態です。⼀⼈前の「⼈」ならば、気軽に<⽂字⽂化>を享受し、晴れやかに⼈びとと付き合っていけるのに、⾃分はどうしてもそういうふうになれない、なにかが⾃分には⽋けている、という思いに屈して⽇々⽣き、空や星や雲や雪や、⼭や森や川や⽥畑、そこに棲む⽣き物と語りそれを書き誌す、その⽂字も⽇常の⾔葉以前の⾃然と響き合う⾳や声なのです。まさに<無⽂字>、<⽂字以前>の声。これは、「修羅」の境涯にいなければ聞こえない声です。それを書き誌すのです。

そこで、ボクは<無⽂字⽂化>という⾔葉を使いました。

その<無⽂字⽂化>とは。

この問題を今⽇は、ちょっと整理しておきたいと思います。

まず、<等分線「⽇本」史略年表>(別添)を⾒ていただきましょう。(以前からABCに参加しておられる⽅には⾒飽きた表かもしれないけれど、なんど⾒ても、これに新鮮な反応をしていただきたい!)

この表の太く⿊い線が、灰⾊の部分と⽐べ、なんと⻑いことか、この⻑い時間をわれわれはなんと気軽に扱ってきたことか、そのわれわれの軽薄さ⾝勝⼿さ、その⻑いほとんど沈黙に近い寡黙な<時>の重さ。これに感動するところから<無⽂字⽂化>論は、始まります。われわれは、つねひごろ、この枠に囲まれた灰⾊の線分、せいぜい⼆千年⾜らずの時間の塊だけを取り出し、歴史だの⽇本だのと⾔い募っているのではありませんか。その前に横たわるこの⿊い⻑い時間の蓄積を、われわれはもっと、じっくりと眺め、ここから、⼈間とはなにか、⼈間はどんなことを成し遂げようとして、なにをしてきたか、考えたいと思うのです。そして、この⻑い沈黙の時間の蓄積を<無⽂字⽂化時代>と名付けたいと、ボクは思ったのです。