『失われた時を求めて』の森へ(3)無意志的記憶とマドレーヌ

とうとうコロナに囲い込まれたまま、2020年を終えることになりました。
今年最後のABCは、zoomだけで、がんばります。

このところ、プルーストを読み続けていますが、年末のABCは、「マドレーヌ」の一節をとりあげました。
以前、『失われた時を求めて』の巻頭の有名な一句を読み比べましたが、あの一行、
《長い時にわたって、早めに寝床(とこ)に就くことにしていた。蠟燭(ろうそく)を消すとすぐ、目は閉じ、「もう眠るんだ」と自分に言う時間(とき)もないほどだった。》
のあと、蜿蜿と、眠ったつもりなのに目が覚めて、いろいろなことを思い出していくのですが、ほんとにそれが長々と続いて(ここでたいていの人は、この本を投げ出してしまう!)、和訳の文庫本だと100ページくらいそんな調子でしょうか、そのあと、一行、空き(空白)があって始まる一節、それが「マドレーヌ」の章です。それが終って、第2章に入ります。
つまり第1章の最後、締め括りの節が「マドレーヌ」でもあるわけで、ここを書きたいために蜿蜿と書いてきたとも言えます。その節は一種独立しているので、省略せず、読んでみたいと思いまして、先週から鋭意(?)私訳をがんばってきました。
いっしょに読んでいただいて、プルーストに新たな収穫を見つけてもらえると、と願っています。