太田省吾氏が亡くなった──

『なにもかもなくしてみる』(五柳書院)が、太田さんの最後の言葉になった。ボクが太田さんと最後に会ったのも、その本の打ち合わせのためか五柳の小川さんと一緒だったときだ。また、そのうち会えるし、新しい劇も見られると思って別れたのに──

今度会ったら話題にしたかったことは、最後の本にも収録されている「震災」の問題である。阪神大震災はボクの身近に起り、死んだ知人を思い、追悼の短編小説を書いて近い人に配った。三年前の新潟地震のときは、震災のなかから甦える詩精神のことを書き『路上』に寄せた。地震は戦争と同じように歴史を変えることを書かなければ、と思っていた。そんなとき、武者小路實篤記念館で話をする機会があり、「白樺」には日本の近代を創るいろんな可能性が育っていたが、ぜんぶ関東大震災で潰えた、いまわれわれが共有している「白樺」像は震災のあとバラバラになった同人たちの足跡からみたもので、それは大震災で崩壊したあとの「白樺」だ、というようなことを語った。震災は建物だけでなく思想も壊す。
もちろん、ボクは崩落前の「白樺」の可能性を発掘する大切さを伝えたかったのだ。そのとき、太田さんの、「地震ですべてを失ったとき、通常は気づいていない喜びのようなものがうかがえる」という一節が、ボクを支えてくれていた。──この発言を「当事者の苦しみの分からない非当事者の〈呑気〉」と断罪しないで、なにもかもなくしたなかからなにかを見つける逆説と読むとき、歴史を書くことが始まるのですね、という話を太田さんとしたかった。

新潟を地震がまた襲い、ボクは言葉を探し始める。その地震と行をともにするかのように、太田さんが逝った。

2007.7.25