不可視の光景とどう向き合うか。

3月11日の大地震と大津波が遺した瓦礫の荒野のような光景をTVなどで見て、ヒロシマやナガサキ、あるいはさきの戦争の大空襲のあとの焼野原を連想したのは、ボクだけではあるまい。

しかし、原発事故が引き起こしている光景は、そういう連想すら許さない。そこにあるのは、シーベルトとかベクレルという単位で数値化して辛うじて測定するしかない風景である。その単位は、あまりにも日常のリズムからかけはなれているし、視覚化する手段すら見当たらない。確かなことは、そういう数値によってしか想像できない光景がそこにくりひろげられているということだ。

そういう不可視な光景であるばかりに、不安は募る。だが、ほんとうは、これまで可視化できると思っていた情景も、じつは、不可視な部分をいっぱい備えていたのではないか。いま、そのことを考え直すときに直面しているのではないか。

2011.4.12