<もう一つのabc>2025年12月26日(金)18:00〜21:00)のお知らせ
<もう一つのabc>を、2025年12月26日(金)18:00〜21:00、木下宅で開きます。前回申し上げていたように、忘年会風の集まりにしたいと思っていますので、集まりいただいた方とはワインなぞ傾けながら、zoomの方々とはスクリーン越しに、あれこれお話できればと。 ですので、いつものように森山くんのレポートもお休みいただき、ボクも「范寛」を観て来て興奮まだ冷めやらぬ時にいますので、その話を気軽 […]
<もう一つのabc>を、2025年12月26日(金)18:00〜21:00、木下宅で開きます。前回申し上げていたように、忘年会風の集まりにしたいと思っていますので、集まりいただいた方とはワインなぞ傾けながら、zoomの方々とはスクリーン越しに、あれこれお話できればと。 ですので、いつものように森山くんのレポートもお休みいただき、ボクも「范寛」を観て来て興奮まだ冷めやらぬ時にいますので、その話を気軽 […]
今年最後のABCのご案内です。12月13日(土)は14:00〜17:00、波止場会館3F、中会議室です。テーマは、《北齋の文章を読む(4)—北齋・底辺からのまなざし》とします。ただいま資料作成中。明日には届けます。「底辺からのまなざし」というのは、ボクの北齋論の基調であり主調です。これからしばらくお付き合いお願いします。この観点から、<美>と<利>の問題を考えて行きたいと思っています。「底辺」とい […]
前回1回目は、飯島虚心『葛飾北齋傳』の始まりのところをちょっと齧りました。 (時間があればじっくり検討したいのですが、それはまた別の機会を)。そして、2回目は、「北齋」と呼ばれた人物の生涯を概観しつつ、その思想と呼びたい働きへ近づいて行きたいと考えています。 新しく、ボク流の略年譜を作りました。もちろん、決定版ではありません。これからなんども改訂し、書き直して行くべき第一稿というところですが、今回 […]
北齋(宝暦十[1760]]を知るには、なによりたくさんその仕事を観て、彼についての基本資料を読むにこと、その繰り返しに尽きます。いつも初心を忘れずに。ABCでは、まず基本資料中の基本資料である、北齋没後50年目に出版された、飯島虚心(半十郎、天保十二[1841~明治34[1901])の『葛飾北齋傳』(明治26[1893]刊行)を読んで行くところから始めたいと思います。資料は、その北齋伝の冒頭を書き […]
今⽇は古事記の「序」に取りかかります。太安萬侶の書いた序⽂です。古事記上巻神代篇をていねいに読み切って、これに取りかかろうというのが、古事記をABCで始めたときの⼼積りだったのですが、まだその⽬標を果たし切らないまま――逸る⼼が先を急がせます。なにがボクを安萬侶の「序」を読むことへと逸らせるのか。この「序」⽂は、〈美〉を求める芸術家魂の呟きが聴こえて来る、それをしかと確かめたいという 思いが募るか […]
8日の勉強会のタイトルは、<天照大神と須佐之男命の対決場面を読む>です。救いようのない不信関係にある姉と弟は、呪力の勝負によって自分の正当性を主張し合います。この行為を促しているのは<美>への希求か<利>の欲望か。少なくとも、その物語を文字に移そうとしていた太安萬侶は<美>への希求に燃えていたようです。
昨日のメールで、明日のテーマを<古事記上巻を概観する>とお知らせしましたが、その概観表を作ったあと、なぜこうして古事記に取り組むのか、という問いを確認するノートを作ってみなさんに読んでもらいたいと、書き始めたらずいぶんなものになってしまいました。これをワードにしている余裕がないので、ノートをコピーしてお配りします。あすは、まずこれを読みます。 お配りする資料は、あわせて3点:1)なぜ古事記を読むの […]
2025年1月18日 <土曜の午後のABC>年頭挨拶 木下長宏 年賀状いただいたみなさん、いただけなかったみなさん、今年はこちらから新年のご挨拶も出来なく、すみません。 11月の終りごろ、急性細菌性前立腺炎という病気に見舞われ、すぐ快癒するだろうとドクターもボク自身も思っていたのですが、カテーテルがなかなか外せず(一か月かかって)やっと外した翌日から局部に痛みが走り、高熱を発し(それが年末も年末、 […]
11月のABCは『古語拾遺』を覗いてみる予定で、10月のABCのときに前もってプリントをお送りしておいたのですが、予定を変更します。 というのは、いま、上野の東博でやっている「はにわ」展が開かれているあいだに、埴輪と古事記との深いつながりについて、語っておきたい(そして展覧会を観に行ってもらいたい)と思い、展覧会の終わらないうちに、この話をしなければと気がついた次第。 そこへ、ちょうど『八雁』の最 […]