2025年7月12日の<土曜の午後のABC>は、<北齋初学(ういまなび)2 —「北齋略年譜メモ」を眺めながら>です。

前回1回目は、飯島虚心『葛飾北齋傳』の始まりのところをちょっと齧りました。 (時間があればじっくり検討したいのですが、それはまた別の機会を)。そして、2回目は、「北齋」と呼ばれた人物の生涯を概観しつつ、その思想と呼びたい働きへ近づいて行きたいと考えています。

新しく、ボク流の略年譜を作りました。もちろん、決定版ではありません。これからなんども改訂し、書き直して行くべき第一稿というところですが、今回の略年譜をじっくり読んでいただくと、飯島版北齋伝を読み込んだ跡もみてもらえるのですが、そういう過去の業績への言挙げよりも、ボクがもっと関心を寄せているのは、「北齋」という人物はそもそもなにものであったか、その遺した仕事から読み出したいということに尽きます。

北齋の絵師としての諸活動は、とりあえずは、永田生慈氏がパリ、グランパレの北齋展で提示され、島根県立美術館の北斎展シリーズで踏襲されている六つの区分を指針にしました。その時代区分で「北齋」を解説するのではなく、それを手掛かりに「北齋」と呼ばれている人の思想を探って行きたいというのが、狙いです。