intro essay(2025.01.02)
風の穏やかな12月1日の昼下がり。山下運河の流れもゆったりと流れる。そこへ真鴨が三羽、大きな澪を作って悠々と泳いで来た。岸壁では十羽を超える鳩が一斉に首を鴨の方に向けて身動きもせず整列している。 いつもなら水の中でせかせか両脚を動かしながら、絶えず水中の魚を探し、見つけるやいっきょに潜水する、見かけよりせわしい鴨なのだが、今日はどうしたのか潜る気配もない。堂々と首を高くしてゆったりと、海口の方へ消 […]
風の穏やかな12月1日の昼下がり。山下運河の流れもゆったりと流れる。そこへ真鴨が三羽、大きな澪を作って悠々と泳いで来た。岸壁では十羽を超える鳩が一斉に首を鴨の方に向けて身動きもせず整列している。 いつもなら水の中でせかせか両脚を動かしながら、絶えず水中の魚を探し、見つけるやいっきょに潜水する、見かけよりせわしい鴨なのだが、今日はどうしたのか潜る気配もない。堂々と首を高くしてゆったりと、海口の方へ消 […]
絵は(彫刻もそうだが)、ただ見るだけでは、絵が可哀想である。 絵とは、出会わなければもったいない。 絵は呼吸(いき)をしている。生きている。 絵は、その近づきかた、観かたしだいで、一瞬一瞬姿を変えている。 美術館や画廊に行って、作品を前にして、行儀良く立って見つめているだけでは、ただ「見た」に終ってしまう心配がある。 「見る」から「観る」へ。 美術館などでは、客にいちばん見やすい姿勢で「鑑賞」して […]
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」 ちょっと、まだ口遊むには早い一首だが、こんなに酷暑が続くと、こんな歌でも想い起して涼を待ちたくなる。 平安時代に作られた和歌のなかでも、これは現代でも親しまれている一つだろう。 この歌は、おそらく最初は、「あききぬと…」と全平仮名で書かれ、この「あき」は「秋」を指示すると同時に「飽き」を含意して詠まれていたはずである。 掛詞という用語は古 […]
いつの時代でも、人は、いま自分が持っている知識で、世界を解釈し理解しようとしてきた。しかし、時を経るとともに、自分たちは発展進歩していると思い込んで、じつはそうして獲得した知識とは情報量が増えただけだということに気づかないできた。そして、その増加に反比例するかのように、自分たちの知識が及ばない世界への畏怖の心を鈍化させてきたことを忘れていったのではないだろうか。 人間の視覚域の外側と内側に紫外線や […]
ナショナリズムは、かつては国家のかたち、内政外交の両面を決定する思想だった。 その思想が、多くの植民地を解放させる力となった。 一方で、自国のナショナリティを聖化し、弱小民族を殲滅させようとしたり(ドイツナチス)、自国の信条の押し付けを解放と詐って植民地化する(旧日本)帝国主義ナショナリズムが登場し、ナショナリズムは拡散していった。 現代の日本では、人びとの自分と同質の公共圏に安らぎを得たいという […]
なにげなくテレヴィを点けていたら、近年、ゴミ屋敷というのが増えているというニュースが流れてきた。 その映像を見て考え込んだ。そのゴミはみなプラスチック製の買い物袋に入れられていたのだ。プラスチック製の丸く膨らんだ袋が山のように積み上げられて、玄関も部屋の中も埋っている。 現代のゴミの増殖は、プラスチックが主導しているのではないか。 もしもこの袋が昔ながらの紙製だったら、こんなゴミの山は築かれなかっ […]
以前にも書いたことだが、ボクは30代のころ、プラスチック製品を使わない生きかたを試みて完全敗北し、今日に至っている。このごろ、やっとプラスチック・ストローを使わない意識が、世界に拡がってきた。ボクももういちど30代の心がけを取り戻してみようか。 都市や町の名前表記をひらがなにするのも嫌だと書いたのはつい先日。都市や町の表記をひらがなに換えることとプラスチック生活を満喫しているのと、どこか、似ていな […]
ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、フクシマ、–––どれも、本来漢字の顔を持っているのに、片仮名にされることによって、特別の意味を負わされている。負わされてはならない悲劇の意味である。 このごろ、ちょっと読みづらい漢字の地名が条例で平仮名に変えられる市町村が増えてきた。読み易さと通り安さを考えての公的処置なのだろうか。その処置によって、その土地の固有のなにものかが捨てられている気がして、ボクは嫌だなと思 […]
たとえば日本美術史は縄文弥生古墳時代をなぞるようにすませて飛鳥時代からたっぷり聞かされるだが時の長さを均等に積み重ねるならば飛鳥から現代までの時間は日本列島の歴史の時間の15000分の1500ほどに過ぎない飛鳥と呼ばれる時代に入るまでの長いながい一万三千五百年人びとはいまのわれわれと同じようになにかを考えなにかに悲しみなにかを怒りなにかを喜び壊されては作り直しまた壊されては作り直し生きてきたはずだ […]