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蕪村の蕪村による方法序説

今回は蕪村の愛弟子とでも言えばいいか、11歳年下で蕪村より先に逝ってしまった、黒柳召波の遺稿句集に序として寄せた全文をじっくり、読みたいと思います。 この時代、俳句に限らず、芸道の世界では、直伝は「見て真似よ」で、口伝で遺すことはあっても文書にするということはやらなかったものですが、蕪村は頓着なく種明かしをしているところが面白いというか凄いです。「詩経」から「春風馬堤曲」を示唆された機微もこの文章 […]

蕪村が詠んだ「詩経」

12月11日(土)は、2021年最後のABCでもあり、詩経と日本との関わりから産まれた一つの美しい結実、蕪村の仕事を眺めてみます。 詠われている季節は「春」なのですが、蕪村は詩経を読みながら、その詩が呼び起こしてくる日本の春と望郷の思いを掬い出して詩を作っていました。それは、江戸時代には誰も試みたことのない、新しいスタイルの詩でした。蕪村の胸のうちに閃いていたそんな詩境に想いを寄せて、新しい年へな […]

『詩経』から『古今和歌集』へ

前回(11月6日土)、詩経(毛詩)で説かれている「六義」が、古今集を経て、元の意味から遠く離れて使われて行く様子を、急ぎ足で見ておきました(まずは、そんなふうに「六義」という語が日本文化の文脈のなかで変容して行くことを抑えておきたかったからです)。 今回は、その古今集の「序」で試みられた「六義」解釈への百年後の反論と、和歌〔やまとうた〕に対して、当時の人の捉えかたを、仮名序を書いた紀貫之の歌など手 […]

「六義」をめぐって

『詩経』から生まれた「六義」という言葉とその概念は、日本の文学史芸術史の最初期から、大きな役割を果たしてきました。 いまでは死語となったように思える「六義」ですが、もういちど、列島の芸術史のなかで果たしてきたことを見直しておきたいと思います。そしてその視点から、『詩経』の諸作品を読み直していきたい。今回はその手始めです。

『詩経』から始まる芸術の旅—その2

ここ二、三回、『詩経』を読みながら、芸術とはなにかを考えようとしています。それは、儒教という政治と宗教の複合体に翻弄された詩(芸術)の姿を観察することであり、同時に詩(芸術)の初源の姿を探ることでもあります。  それは、また、人間の精神というか心/意識の初源の姿を考えることであり、そこから、現在(いま)われわれはどうあるべきかへの示唆を見つけられるのではないか、と考えています。

『詩経』から始まる芸術の旅

『詩経』という東アジア最古の詩集から、芸術の始まりの姿を見つけてみたいと思っています。 〈無文字文化〉が現代に生きている、というより、現代という〈文字文化〉がいかに〈無文字文化〉によって生かされているかを知るために、です。 そのために、『詩経』をどのように読んでいったらいいか、試行を重ねながら、詩と美術の世界を往き来しつつ、尋ねて行く旅を楽しんでいただけたら、と願っています。

「離騒」のこと

前回は、中国大陸に遺された最古の詩として、『詩経』(前8世紀〜前6世紀ころの歌謡)の巻頭の一首を始め、いくつかを読んで、そこに<無文字文化>の遺産が「詩」の根源としてあり、それが、歌謡として遺される舞い(身振り)を伴う<声>の結晶であり、そのことが「詩」を「詩」にしていることを嗅ぎ当ててみようとしました。また、『詩経』は日本列島でも早くから読まれ、万葉集巻頭のワカタケルの天皇の歌も『詩経』を踏襲し […]

詩の最古のかたちを求めて—『詩経』から

 詩(文学)と絵(美術)の最古のかたちを求めて—『詩經』から考えを始めてみたいと思います。 「美術」の始まりの姿を求めて、ラスコーの洞窟を訪ね、粥見井尻の土偶を見せてもらいに三重埋蔵文化センターを訪ね、いろいろあれこれ考える旅をつないできました。それを考える旅はまだまだ終りそうにないのですが、というのも「始まりビギニング」「始源(ソース)」「起源(オリジン)」「初源(ライズ)」「生成(ジェネシス) […]

<もどき>と<忌み>—美を生かすもの

今日は<もどき>と<忌み>をキイワードに、<無文字文化>の問題を考えたいと思います。 <無文字文化>の時代の長いながい沈黙に近い時の蓄積を前に感動することは、<声>のはかなさに深い思いを馳せることにほかなりません。 声は消えて行くが、形は消えない。昔の人は鋭敏に心得ていて生きていきました。 その様子を、まず、粥見井尻の土偶と同時期の草創期土偶とを見比べながら考えたいと思います。