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蕪村が描いた「奥の細道」5

蕪村が描いた「奥の細道」は今回で五回目。とりあえず「奥の細道」の最後まで読み終えるのが目標です。もちろん、これで「読み終った」などと大きなことは言えないのですが、「とりあえず」です。この「とりあえず」の読みを通して、蕪村の写本を観ながら、つまり蕪村がどんな具合に、どういうつもりで「奥の細道」の画巻を作ろうとしたのかを考えながら、同時に「奥の細道」という作品はどんな作品なのか(蕪村の考え視点に囚われ […]

蕪村が描いた「奥の細道」4

<蕪村が描いた奥の細道>の4回目です。いよいよ越後に入りました。折り返しです。今回も、前半は蕪村の別の俳句と絵をちょっと覗いて、それから「奥の細道画巻」に入りたいと思います。

蕪村が描いた「奥の細道」3

3月25日(金)の<土曜の午後のABC>は、 蕪村の描いた「奥の細道」の三回目。 芭蕉一行は、尾花沢から最上川へと辿っていきます。  しずかさや岩に染み入る蟬の声  さみだれを集めてはやし最上川 と、この手記のなかでも屈指の名句を遺したところ。 蕪村は、ただ芭蕉の文章を写し取るだけで、挿絵は描きませんでした。 なぜ、絵は描かなかったのか、などと考えながら、読み進んでいきたいと思います。

蕪村の描いた「奥の細道」2

2022年3月12日土曜日のABCは、蕪村の描いた「奥の細道」を読み続けますが、前半小一時間は、蕪村の「夜色楼台図」という名称で知られている一本の絵を眺めて過ごしたいと計画しています。

蕪村が描いた「奥の細道」

《蕪村が描いた「奥の細道」》というタイトルで「蕪村筆奥の細道」画巻を読み進めますが、その前に(蕪村という人を知る手がかりとして)、前回は「万歳図自画賛」を眺めたので、今回は、「学問は尻からぬける蛍かな」の句に絵を着けた一枚を眺めてみたいと思います。  今回は、ちょっと趣向を変え、みなさんに宿題を差し上げたいと企みました。  この「学問は…」に描かれている肘をついて居眠りしている男は、蕪村の自画像で […]

蕪村の構想力

新年の最初の土曜日のABC は、波止場会館で集まるのは諦めました。 ちょうど旧暦の正月を迎えたばかりで、まず蕪村の「万歳図」を眺めるところから始めたいと思います。 それのあと、蕪村の「奥の細道図」を読んでいきたいと思います。『詩経』を読んでいて、詩経からヒントを得た蕪村に入っていったのですが、ここで、しばらく蕪村を追いかけたいというわけです。

蕪村の蕪村による方法序説

今回は蕪村の愛弟子とでも言えばいいか、11歳年下で蕪村より先に逝ってしまった、黒柳召波の遺稿句集に序として寄せた全文をじっくり、読みたいと思います。 この時代、俳句に限らず、芸道の世界では、直伝は「見て真似よ」で、口伝で遺すことはあっても文書にするということはやらなかったものですが、蕪村は頓着なく種明かしをしているところが面白いというか凄いです。「詩経」から「春風馬堤曲」を示唆された機微もこの文章 […]

蕪村が詠んだ「詩経」

12月11日(土)は、2021年最後のABCでもあり、詩経と日本との関わりから産まれた一つの美しい結実、蕪村の仕事を眺めてみます。 詠われている季節は「春」なのですが、蕪村は詩経を読みながら、その詩が呼び起こしてくる日本の春と望郷の思いを掬い出して詩を作っていました。それは、江戸時代には誰も試みたことのない、新しいスタイルの詩でした。蕪村の胸のうちに閃いていたそんな詩境に想いを寄せて、新しい年へな […]

『詩経』から『古今和歌集』へ

前回(11月6日土)、詩経(毛詩)で説かれている「六義」が、古今集を経て、元の意味から遠く離れて使われて行く様子を、急ぎ足で見ておきました(まずは、そんなふうに「六義」という語が日本文化の文脈のなかで変容して行くことを抑えておきたかったからです)。 今回は、その古今集の「序」で試みられた「六義」解釈への百年後の反論と、和歌〔やまとうた〕に対して、当時の人の捉えかたを、仮名序を書いた紀貫之の歌など手 […]

「六義」をめぐって

『詩経』から生まれた「六義」という言葉とその概念は、日本の文学史芸術史の最初期から、大きな役割を果たしてきました。 いまでは死語となったように思える「六義」ですが、もういちど、列島の芸術史のなかで果たしてきたことを見直しておきたいと思います。そしてその視点から、『詩経』の諸作品を読み直していきたい。今回はその手始めです。