ヴェルレーヌの〈二重のきき〉

「二重(ふたえ)にきゝを付」けるのが俳諧物の極意だと、蕪村が言っていることを、あれこれと考えてきましたが、語りながらボクはふいとヴェルレーヌのART POÉTIQUE という詩篇を思い出していました。

そのことを締切が近づいている『八雁』の連載エッセイの話題にしようかなとペンを執ったのですが、書き出すとなんとなくヴェルレーヌではなく、ボードレールのことを書いてしまうことになりました。(それはそれで11月に発行されるので、お送りいたします。)

今回のABCでは、『八雁』で取り上げ損なったヴェルレーヌを、読んでみたいと思います。蕪村から離れるようですが、蕪村がそれを誘っていますので、決して離れてしまったわけではありません。

「二重のきゝ」は、古典や歌枕などを下心にするだけではなく、一つの作品が持つ多義性ということも、その働きの一つであることは、ABCで勉強してきました。この「きゝ」を見つけることは、作者が意図していた「きゝ」を見つけただけで終っては十分ではない。作者が意図していなかった「きゝ」を見つけることにこそ、作品を味わう醍醐味があるのです。

多義性は、作品成立の条件であって、作品の価値ではありません、それぞれの「義(作品が放つメッセージ)」が響き合って、作品の美的価値が産まれます。それを見つけるのが鑑賞と批評の仕事です。

ところで、蕪村の「二重のきゝ」を考えていてヴェルレーヌのART POÉTIQUEを思い出したのは、まさに、19世紀フランスの詩人が、この「二重のきゝ」の大切さを詩にしているからです。いや、古典の本歌取りの方法にはむしろ反対しているのですが、それでいて、やはり言葉の芸術としての「詩」に「音楽」の大事さを説いているところが、すごく興味深いです。作品における多義性=「二重のきゝ」についての大切さを、別の角度から考える機会を与えてくれそうです。

では、そのART POÉTIQUE(このフランス語はいちおう「詩法」と訳しておきます)を読んでいきましょう。

それから、時間があったら、ちょうどこの季節、ヴェルレーヌから「秋の歌」を思い出し、ボードレールの「秋の歌」と(これは日本語にすると同じタイトルですが、原文は、ヴェルレーヌが、《Chanson d’automne(シャンソン ドトンヌ)》、ボードレールの方は《Chant d’automne(シャン ドトンヌ)》とちょっと違います)、二つの詩を味わってみたいと思い、資料に追加しておきます。