今日は、前回3月14日のABCで時間切れになって触れられなかった「ドーナツの穴の食べかた(その2)」から始めます。「ドーナツの穴の食べかた(その3)」です。
「ドーナツの穴」という言葉を思いついたのは、そんなに以前のことではないのですが、言葉遊びとしてではなく、ずいぶん以前から考えている<美>と<利>の相剋・葛藤の問題を整理するのにぴったりな公式になるぞ、と確信に近い手応えを得たのは、去年暮范寛の作品をじっくり観ることができ、そのあと年末ロスコの未完の大著を読んだときでした。
それから、年が明けて一月二月、横浜美術館で開かれていた戦後の日本と韓国の美術活動を振り返る展覧会を観たのも、「ドーナツの穴」という考えかたを励ます経験になりました。あの展覧会は日韓現代美術交流の(交流というのは好きな用語ではありませんが、とりあえず使っておきます)表面の大きな出来事をさらっと並べただけに終っていて、もちろん日韓国交回復以後両国を架ける/駆けるたくさんの作家たちの一つ一つをあそこに並べるわけにはいかないでしょうけれど、京都にいた頃ボクがボクなりに関わっていた才能ある韓国の若い作家たちの仕事などが、あの会場にいるとわけもなく想い起こされて来て、胸に迫ってくるものがありました。彼らはこのまま無名の作家の群に紛れ込まれて忘れられて行くのだろうか、と思うと、「芸術」とはなんなのだろうか、とあらためて考えさせられます。その忘れ去られて行く人たちも、「ドーナツの穴」です。
不思議な経験なのですが、日頃はそんな意識の上ってこない素晴らしい仕事をしていた若者たちの作品が、あの会場に佇んで
いると次から次へとボクの胸の裡を駆け巡るのでした。
「ドーナツの穴」はいろんな働きをします。柳瀬正夢もそんな一人かもしれせん。一月の横浜美術館の例とは少し違うのですが、彼は1945年5月の東京大空襲で亡くなっています。やはり昭和10年代の異常な戦争の雲の下を生きた一人です。2000年の年、九州と生まれ故郷の愛媛県で大きな回顧展が開かれましたから「忘れ去られて」いるわけではありません。しかし、そのどちらにも旧洲之内徹コレクションの「満洲の少女」は取り上げられていなくて、ま、展覧会だから取り上げない作品があってもいいし、美術館の仕事ぶりを責めるわけではまったくありませんが、この小品は、柳瀬正夢という人を考えるうえで欠かせない味のある作品(小品だからこそ意義があるとボクは思う、ので)生誕100年と銘打つなら図録に入れたかった(せめてどちらかの展覧会場かみんなに観てもらいたかった)と、思ってしまう。こういう「穴=欠落部分」もあります。当時の日本帝国主義の暴政の下で健気に生き抜いている現地の少女に寄せる柳瀬正夢のこういう心の動き自体が「ドーナツの穴」—表面上は姿を現さない真情—ではないか。穴もいろいろな現れをします。
サンテクジュペリが『星の王子さま(原題はLe Petit Prince = 小さな王子)』で狐に言わせた「大事なことは目に見えないんだよ」というよく知られた一句が思い出されます。「目に見えない大事な」こと、これも「ドーナツの穴」ですね。
ボクが「ドーナツの穴」という譬えを面白いと思っているのは、かねてから折に触れて力説している<無文字文化>の問題、そして<美>と<利>の問題を考えるとき、この「ドーナツの穴」の譬えはとても解り安くしてくれるキイワードになると気づいたからでもあります。
<無文字文化>は、言葉による表現を<文字>を使って表すようになるまで、<声>を頼りに意思や感情を伝え合っていた時代の人びとの営みのことを言います。なんども紹介してきましたが、平安時代初期に書かれた『古語拾遺(こごしゅうい)』(齋部廣成いんべのひろなり著)という書物に「上古乃世じょうこのよ(大昔のこと)未有文字いまだもじあらず(文字を持たなかった時代)、貴賤老少きせんろうしょう口々相傳くちぐちにあいつたえ(金持も貧乏者も、差別なく、口から口へ〔つまり、声で〕伝え合い)、前言往行ぜんげんおうこう存而不忘そんしてわすれず(昔から言われていたことや行われていたことが生きていて誰も忘れなかった〔大事に守っていた)」と書かれているように、声で伝え合ったことが、忘れられることなくみんなが理解し合っていたようです。『古語拾遺』はそれに続いて「書契以來しょけいいらい不好談古こをだんずるをこのまず(文字を書くようになってからというもの、古いにしえを談かたるを好まず)浮華競興ふかきょうこうし(浮かれ華が競い興おこり)還また嗤旧老くろうをわらう(またその上に古老たちを笑い物にしている)遂ついに使人ひとをして歷世而よをへて彌新いよいよあたらしく(ついにはその結果時とともに人びとはどんどん新しくなり)事ことは遂代而よをおいて變改へんかいせむ(人びとの振る舞いは代を変わるごとに変えられ改まって行き)顧問故實こじつをかえりみて靡識根源こんげんをしることなし(故実を顧みて根源を識しろう、学ぼうとしなくなった)」と書いています。文字が使われるようになって、人びとの暮らしが浮薄になったと嘆いているのです。
<無文字文化>の良いところが<文字文化>時代になって忘れられて行くことを嘆いているのですが、しかし、現在よく観察すると、この<文字文化>の爛熟期にあってもなお、あの<無文字文化>の残滓が生き遺り<文字文化>を支えている(支えているどころか、文字文化を生き生きとさせていることに気が付きます。齋部廣成いんべのひろなりの嘆きはその通りなのですが、しかし忘れてはいけないこともありますよ、ボクは言いたい。
日本列島の文化は、地球上に例を見ないくらい長いながい<無文字文化時代>(縄文草創期からでも一万五千年以上)を経験経過して<文字文化>時代を迎えた(西暦8世紀になってです)という西洋や中国とはまったく異質な文字の歴史を持っています。
現在もわたしたちの思考法にこの<無文字文化>の残滓が生きていて、わたしたちの生活を潤している、とくに<美>に関わる感性判断力の働き、芸術作品に対面して感動をおぼえたとき、そこに働いているのはその<無文字文化>の残滓との出会いがあったからだ、というのがボクの観察です。しかし、<利>に翻弄される日々のなかそれは大切にされていない、その様子がまさに「ドーナツの穴」のようだと思います。いうまでもなく<利>がドーナツの実を作っています。
いずれにしても、この「ドーナツの穴」は、人間という生き物の思考活動の位相(つまり「意識」と言っていいのですが)、感情反応を含めた人間の行動を支える世界観の働きの「観」に(その壁面に)映し出された世界像の骨組として描きだせる模式図です。意識の映写幕スクリーンに投影された存在するもの、その精粋エッセンスとしての芸術作品の骨格の模型、と言えばいいでしょうか。わたしたちは、この模型を無意識の裡にモデル(規範)として活用しているようです。
意識活動だけでなく、身体の機能もこの模式を適用出来ます。たとえば、自律神経系の活動と筋肉系の活動です。筋肉系の活動は、ドーナツの食べられる部分です。穴の部分は、人間の意思では自由に動かせないが身体活動の維持と展開に欠かせない働きをしている自律神経系で、日常この系の働きを忘れがちで、まさに「ドーナツの穴」です。
あくまでも、比喩としての模式ですが、これを活用して、芸術の問題、<美>と<利>の葛藤の問題などなど、考えてみたいと思った次第。まず、前回お配りした「ドーナツの穴の食べかた」という図とメモに書き加えをした図。これに眼を通して、実践作業の一例となるように、宮本武蔵が描いたと伝わる「枯木鳴鵙図」を眺めて行くことにします。