
① リージョナリストとアメリカ伝統主義者は全くのところ、その考え方の基礎を題材に置いている、その考え方は、われわれにはまったく関心を引かない。特別な題材が絵画を芸術の王国に高めるなどということはない。また、それが芸術としての意義を破壊することもない。
② さきに挙げた(アメリカのインディジェナスと言われる)画家たちも、ヨーロッパからの源泉を分け合って、それを勉強して、自分たちの仕事を完成させたということが出来る。これは、アメリカ文化総体の特質である。それはそうだろう。しかし、アメリカで描かれてきた絵画は、ただ、それだけだろうか? ここに誤解が潜んでいる。どの国のどの絵画の流れや伝統を調べても、世界中どこでも、造形の天才は地球上の境界線を越えてどこへでも出かけて行って、その時代の最先端の造形的発見を自分自身の仕事に活かそうとして来たことに気づくはずだ。この造形上の発見こそ、どこでそれが為されたとしても、彼らにとっては彼らの先端を拓いた成果なのである。
③ 芸術家という存在は、自分の棲んでいる環境に敏感である。絵画芸術というのは、絵画的用語で表現された、その芸術家と環境とのあいだに交わされた相互の関わり合いインタラクションの結実なのである。そこから、いろいろな地域の画家/芸術家たちが、それぞれに異なった作品を産み出すのだ。それぞれ異なった表現によって、それぞれ独自の地域固有のインディジェナスな作品が産み出される。
④ 美術の歴史にあっては、アメリカ美術を唱導するような類の固有性は存在しない。どの地域でも、どの時代でも、そうである。ギリシァ美術は、ギリシァの個性が、その羽を調え飛び立とうとしかけたころに、偉大な文化を誇っていたエジプトとクレタの美術を、すなおに時間をかけて受け継いで行った芸術である。エジプト美術の型に基づく慣習的表現から脱して、これこそギリシァ的であるというようになるには、幾世紀もの歳月を経なければならなかった。また、ビザンティン美術は、アレクサンドリア、アンティオケ、メソポタミアとギリシァ半島におけるヘレニズムが辿った伝統の結合である。芸術に引き継がれた伝統の諸要素がそのまま受け継がれたビザンティン美術のなかに、忠実に再生産されている。
同様に、イタリアのキリスト教美術は、さきのビザンティン美術の原型があちらこちらと旅する巡礼者や行商人によって持って帰られたことによって生まれたのである。ジオットの仕事に集大成されたのはこの諸外国からの賜物なのである。
⑤ ルネサンスの巨匠たちは、時代の秩序を無視して、強引に、発掘されたヘレニズム美術の断片やローマの職人が作ったギリシァ彫刻のコピーや十字軍が持ち帰った戦利品などから、自分たちの芸術的霊感インスピレーションを見つけ出したのである。彼らは、こういったものを規範として用いることを恥とはしていなかった。彼らの唯一の関心は偉大な芸術を創ること、過去と現在のすべての知を高めることにあったからである。まもなく、フランドル美術が勢いをつけてくる。しかし、すぐにフランス人の手に渡ってしまう。ヴェラスケスもフランドル派のルーベンスやヴェネチアの巨匠たちの考えを、この人たちがスペイン人ではないという理由で軽視することはしなかった。彼らの伝統は、地域、国境に関して少しも気にすることはなかったのである。シャルダンが見せるワトーとの共通点よりもレンブラントとの方がずっと強いことを誰が否定出来るだろうか? あるいは、ヴェラスケスが同国人のムリリョより、レンブラントに共通するものを持っていることを! あるいは、ワトーがシャルダンよりヴェネチア派とずっと共通することを! ヴェラスケスがスペイン人でなかったらその仕事はいま遺されているようなものではなかっただろうと言うことは言えるだろう。しかし、同じように、彼がヴェラスケスでなかったら、いま観ているような作品ではなかっただろうということも言えるのである。一人の人間というのは、彼自身が備える素質と、その素質に及ぼす環境の働きアクションの総和であることは疑いのない事実である。それだからこそ、それぞれの人間の成したことは一人ひとり異なっているのである。ボッティェルリとミケランジェロは、同じ時期にともにフィレンツェにいて、同じ文化の空気を吸い—同じ環境の要素で育ったにも拘らず—数世紀も隔っていると言えるほど、かけ離れた作品を産んだのである。