それぞれの星座を! ──スタート台に立って

2010.4.5 於 京都精華大学

みなさん、入学おめでとう!

みなさんは、これから四年間──なかには大学院まで行きたいなと考えている人もいるかもしれませんから、四年間だけではない、それに、美術の仕事に携るということは、大学で勉強しているだけで終るものではない、一生、続くわけですから、ほんとに大学での四年間は、スタート台に立って走り出した短い期間です。

いま、みなさんは美術/芸術の世界へ突入し、絵画や立体、版画、映像、陶芸、テキスタイルと、それぞれ自分が選んだ道を踏み出そうとしています。そのスタートラインに並んだみなさんに、おめでとうと伝え、そしてこれからみなさんが勉強していくうえで、なにか励みになる話を少しプレゼントできればいいな、と思ってここへやってきました。

みなさんは、これから、芸術の世界で、それぞれいろいろな分野・領域を専攻して行くわけですよね。立体造形を専攻した人は粘土や石膏で塑像を作り、それを鋳型に取ってブロンズ像を作ったり、あるいは木材を鑿で削って彫り込んでいったり、木材の代りに石を刻んだりもするでしょう。洋画コースや日本画コースを専攻した人たちは、紙に鉛筆や木炭やチョークでドローイングしたりクロッキーしたり(これは立体造形やほかのコースを専攻した人もやりますが)、そういうことから始まって、油絵具をキャンヴァスに塗る油彩画、──絵具にもいろいろあって、水彩、アクリル、油絵具が発明される前からヨーロッパで使われていたテンペラなども勉強したいと胸を弾ませている人もいることでしょう。

版画を専攻する人、陶芸を専攻する人、糸や布を素材に染めの表現を勉強する人、映像を勉強して映画を作りたい、コンピュータを使って新しい表現を開拓するんだと、わくわくしている人もいるでしょう。京都というところへ来たからには、伝統的な工芸もしっかり勉強しなきゃ、と思っている人もいるでしょう。それぞれの分野の技術をしっかり身につけてください。

こうした勉強は、いわば「手」の技術の勉強ですね。この「手」の技術が拙なかったら、自分が作りたいと思っている絵や彫刻はうまく出来上りませんから、ともかくこれはコツコツと一生懸命習得しなければなりません。これは、もう始めている人もいるでしょう。それと同時に、いま、ボクは「手の技術が拙かったら、自分が作りたいと思っている絵や彫刻(つまり作品ですね)、そういう自分の作品はうまく出来上りません」といいました。ここに、今日ボクがみなさんに、お伝えしたいメッセージが入っている箱を開ける鍵=キイが隠れています。つまり「自分が作りたいと思っていること」、いいかえれば「自分が表現したいと思っていること」とはなにか、です。

この「自分が表現したい、作りたいと思っていること」は、どこからやって来るのでしょうか。そんなバカバカしい質問、はっきりしてるじゃないか、自分の頭の中に宿っているイメージでしょ、心のなかに涌き上がっている思いといいかえてもいいですよ、と答える人がいるかもしれません。そう、それはその通りなのです。なのですが、では、その頭のなかに宿っているイメージ、心のなかに涌いてくる思いは、どこからやってくるのでしょうか。どうして、あなたは、それを「自分の心のなかにあるイメージ」といえるのでしょうか。

こんなことを考えるとだんだんやっかいなことになってきますね。それは美学とか哲学を専門にする人の仕事でしょ、われわれは感じたことを素直に絵に描き、彫刻に造り、作品を仕上げればいいんだ、と開き直る人もいるかもしれません。それもその通りです。いつも、新鮮なイメージがあなたの頭の中、胸の奥から涌いて出てきて、あなたがそれを、習い覚えた技術で作品に仕上げていくことが、いつもいつもできれば、それでいいでしょう。でも、人生って、そんなに甘くも易しくもありません。あなたは、必ず、なんども、ああ、自分はどうして、思っていることがうまく作品に仕上げられないのだろうか、とか、ときには、いったい自分が作りたかったのはなんだったのか、もうよく判らない!などと、頭をかきむしって、作りかけの作品をぶち壊したり、破り捨ててしまいたくなるときが来ます。

もっとこたえるのは、自分では結構うまくやった、頭のなかに考え感じているイメージをうまく表現できたと思っているのに、友達や先輩や先生からも、こっぴどく批評されるなんてこともあります。そんなとき、先ほど投げかけた問い──いま作りたいと思っているものが「自分の心のなかにあるイメージ」と、なぜいえるのか、それはどこからやってきたのだろうか、と問いかけることが、もういっぺんあなた自身を、絵を描くこと、彫刻を作ること、なにかを表現することの始まりの始まりの地点へ、連れていって考えることの大切さを教えてくれます。この問いは、あなたを絶望の淵から救ってくれる鍵を与えてくれるというわけです。

「原点に還れ」といういいかたがあって、よく言われますが、いま、ボクがみなさんに「どうしてそれが自分の心に涌き上がったイメージといえるのか」、「それはどこから来たのか」と問いかけることが大切だといおうとしているのは、「原点に戻れ」といっているのではありません。その「原点に戻れ」というときの「原点」ってなんなのだと問うこと。原点と思っているものがあるとしたら、どこからそれは「原点」として自分の心のなかに居坐ったのか、それを考えてみようということです。(もっというと、「原点に戻れ」といういいかたは、なかなかかっこいいですが、じつは、「自分が作り上げようとしているものが、自分の心のなかのイメージだとなぜいえるのか」「そういうイメージや思いはどこからきたのか」という問いかけを腰砕けにしてしまう、一種の権威主義的な答しかそこからは出てこないのです。)

「原点」という言葉には、一種、固定された出発点という意味が含まれていますね。ボクが「これが自分の心のなかに住むイメージだとどうしていえるのか」とか「そのイメージや思いはどこからきたのか」と考えようと言っているのは、そういう固定された出発点のさらに向こうのことを考えよう、そういう「原点」と呼ばれるものすら、どこからそう呼ばれるようになったのか考えよう、それが大切だよといいたいからです。(政治の世界などのように政策を立てて、なにか一定の目的達成のために仕事をしていくような場面では「原点に還れ」という言葉は有効でしょう。いまの民主党政権をみていると「原点に還れ」といいたくなりますよね。しかし、「芸術」と呼ばれる世界では「原点」より、もっと向こうへ問いを投げかけなければ、心を動かす、みんながいいなっていう表現は生まれてこないのです。)

つまり「原点」というのは、誰かがなにかを説明するのに判りやすくするために設定して、みんなで共通に認識出来る指標にすぎません。「原点」が設定されたもっと向こう、始まりの始まりへ、思いをのばしていかなければなりません。(行き詰まったときにそういう「自分の心のなかに湧き起こったイメージはどこからきたのか」という質問をする、つまり自問するといいと先ほど言いましたが、それは、そんな問いかけは哲学者にでもやってもらっておけばいいので、制作に携わる者には要らないよ、という意見の持ち主に反論するため、そういう手順で話を進めただけで、じつは「芸術」と呼ばれる行為・営み(これからみなさんが取り組み勉強しようとしている作品づくりというもの)はいつも、始まりの始まりへ向かって無限の繰返しの問いを続けていく、そういう営みなのです。そういう始まりの始まりへの思いは、あなたの心の隅っこのほうで、日頃は忘れているかもしれないが、なにかちょっとしたきっかけで、むくむくと起き出してきそうな気配で潜んでいて、誰かが呼び出してくれるのを待っています。

ある作品をみて、なにかしら不思議な、ちょっとかんたんに言葉にしにくい感動を与えられたような、そんな経験をしたことがあるでしょう。ジーンときたとか、キュンと胸が詰まるような気持ちに襲われたとか。そういう感動は、あなたの心の奥に隠れていた始まりの始まりへの問いかけが、あなたがそれを見つめ、耳を傾けているとき、その見つめていた作品のなかに隠れていた、始まりの始まりへの問いと共鳴していたからです。制作をする人たちのなかにも、それは呼び出されるのを待っているようにして潜んでいて、制作する人が別の意図でもってその作品を作っている場合にでも、その隠れた感覚がひょいと作品に現れていたりするものです。こうして制作する人と作品を見る人とのそれぞれの心のなか──というより、互いの身体のどこかに潜んでいる思いが、制作された作品を介して出会います。感動するということは、そういうそれぞれの側に隠れ潜んでいたものが、作品を介して出会い共鳴するところに生まれるのですね。 と、こんなふうにいうと、じゃあ、作品を制作するということは、始まりの始まりへの問いかけを投げかけるようにすればいいんだな、という人がいるかもしれません。言葉の上だけなぞれば、その通りです。しかし、じっさいに制作の上で、そのことを考えつめ考えつめ制作していくということは、なかなか、かんたんなことではないのです。それに、始まりの始まりへの問いかけを作品に盛り込んでやろうなどと、計算づくめで制作すると、さっきいったような共鳴──制作する人の心に隠れていた思いと、そういう思いをもって作った作品を介して、その作品を観る人が、見つける感動はかえって共鳴しない、できないのです。

一つ、美術とちがう側面から、この問題を考えてみましょう。みなさんは、言葉を使っていますよね。韓国や中国から入学してこられた方は、まず自分の国の言語で人とコミュニケーションをとり、自分の考えを、いろいろ深めたり、展開したりするのも、自分の国の言葉でやってきたでしょう。でもここでは日本語で通じ合わなければやっていけません。いまここで、ボクはみなさんに日本語と呼ばれる言語で話をしていますから、ともかく日本語は、この場での共通語です。ここにいらっしゃるかたは、日本語を自分の第一言語、つまり母語としている人が多いでしょう。そういう人も、産まれたばかりの、赤ん坊だったときは、日本語としてではなく、言語の原始的なリズムとして、お母さん(あるいは母親代わりの誰か、ともかく自分にとっての最初の人間になるひと)から、言葉を受けとめていたはずです。

自分が口でものを言う前、言語の構造は、そういうリズムというか、韻律として赤ん坊につかまれており、これは赤ん坊にとって、日本語という特別の言語でもなく、もちろん、日本国家の公用語としての日本語でもありません。そういう、人間の初原状態の言語、人間が人間となる始まりの始まりのとき(これは具体的に紀元前何世紀で、具体的にどんなふうだったか、はっきりした確証をもっては言えませんが、きっとそういう始まりの始まりがあったことは疑いない)そういう始まりの始まりに使っていた、というか、持っていたコミュニケーションのありかたは、自分がまだ言葉を使えない、言葉を口にすることができない状態で、会得しようとしている言語の姿です。つまり、赤ん坊がうけとっているのは、言語の根源的な構造を成すもの=韻律・リズムとでもいうべきものです。

いま「韻律」というあまり聞き慣れない言葉を使いましたが、「インリツ」とは、音偏に員という字を添えた「イン」に、キリツ(規律)の「律」という字を組合わした二字熟語です。中国では、昔から使われており、日本でも昔からいろんな意味合いで使われてきました。短歌の世界などでは、五・七・五・七・七という音の数を韻律といったりします。あれは、音数律といった方がいい、音の数によって生まれるリズムの型なので、ボクがここで韻律という言葉がいちばんいいなと思って使うのは、もっと型に定式化される前の、生命の鼓動のようなものと呼応し響きあう心の作用のことをいいたいのです。いまはともかく「韻律」という言葉を受け止めておいて下さい。それは言語の(言語だけではなく人間の表現活動の)最も初原的で根源的な(こういう漢字熟語を使うとむつかしくなるので、「始まりの始まり」といってきたわけですが)、そういう、表現の最も初原的で根源的なありかたを作り出す要素として、いちばん重要な、大切なものを「韻律」と呼びたいわけです。

言語(表現)の初原的で根源的な構造・ありかたなどと難しげにいいましたが、この言語(表現)のありかたの始まりの始まりのようすは、もちろん歴史の問題としては、人類の始まりの始まりの頃の出来事(さきほどもいいましたように、想像する以上のことはできないですが)と、もうひとつ、人間の一人ひとりが生きている問題としては、赤ん坊だったときの経験も、始まりの始まりです。この二つの方向から、われわれは始まりの始まりへの興味を深めていくことができます。

言語の根源的な構造を成すものを感じ取ること、これはわれわれにとって、一つの始まりの始まりの経験です。その韻律・リズムは、自分以前の自分とでもいっていいようなものの姿を、どこかで浮かび上がらさせてくれます。韻律やリズムは、さきほどもいったように必ずしも音声化されたものだけに備わっているものではありません。ものの動きや、形にも韻律が隠れています。それは、心臓の鼓動のような働きをしている感覚といえばいいでしょうか、赤ん坊の状態のとき、受け取っているのは、臭覚や触覚──つまり、いちばん自分の近くにいる人の匂いや、その人の抱き締めてくれかた、そういう感覚とないまぜになった感覚です。そして、それは必ず、規則正しくではないけれど、なにか一種の形になる、形になろうとしている動きをもっています。

生長して大人になってしまうと、そういう韻律の感じとりかたを忘れてしまいます。そういう感覚を棄て忘れて大人に、社会的には一人前の人間に、なっていくのですね。これは、人間が人間として社会を形成して生きて行く限り、避けようがないことではあります。一人前の大人になるためには仕方がないことなんだけど、そういう感覚を棄ててしまい忘れてしまっていたことは、やはり人間にとって悲しいこと、悲しいことというと大げさでしょうか、それは一種の「痛み」(心の中に隠れていた痛み)のようなものとして、心か身体のどこかに潜んでいます。そういう韻律を感じ取ると、人間や人間が置かれている世界の正体に触れた、というような感動に撃たれるのです。芸術と呼ばれている活動は、究極のところ、そういう感動をみつけ、分かち合いたいという思いを奥のほうにもっているのです。

とはいえ、そういう感動を用意すること、分かち合い、共鳴することは、計算してかんたんに、機械的に作り出せるものではないのですね。

ここで、美術の世界から一人、例を探してみましょう。アルベルト・ジャコメッティという人がいました(すでにご存知の人もいらっしゃると思いますが)。20世紀の前半に活躍した彫刻家で、画家です。1966年に亡くなりましたから、いまから半世紀も前の芸術家ですが、彼がその作品制作を通して投げかけた問題は、21世紀のわれわれにもまだ生き生きと伝わってきて、決して過去の人というふうに扱うことはできない人です。みなさんも、ぜひ、どんな分野の仕事に携わるにしても、このジャコメッティが考えたことを、自分の問題に引きつけて考える機会を持ってもらいたい、そういう人です。

では、ジャコメッティがどんな仕事をしたか、たくさん制作したなかのほんのちょっとですが、写真で作品を見ておきましょう。スライドお願いします。

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1)まずアルベルト・ジャコメッティの仕事をしている姿を、ちらっと見てもらっておきます。絵を(油絵です)描いています。その奥に制作途中の石膏の人体像がみえます。もう胴部はできているようですが、両腕は針金のままです。次をお願いします。

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2)これは、晩年の作品で、さっきちらっとみた石膏像を、ブロンズに仕上げたものです。さっきと同じ作品ではありません。でも、こうしてブロンズに鋳込まれた作品が、ふつう美術館に展示されているジャコメッティの作品として、われわれが親しんでいるもので、さっきの石膏像は、ああいう写真の記録として残っているものからしか見ることはできません。でも、ジャコメッティが、一つの人体像を作るために汗を流して格闘しているのは、この石膏像を作っているときで、ブロンズに鋳込むときは、作者はもう何もしていないのですね。だから、石膏からブロンズへの過程、その関係は、絵画を制作するときのドローイングからタブロー、下絵から本絵という過程と見合っているようにみえるのですけれど、作者がそこに注いでいる制作意識の働きは、まったく異なります。絵の場合だと、タブローや本絵の制作は、また始めからの制作なんですね。ブロンズに鋳込むのは、たいてい専門家に依頼します。ブロンズ鋳込みは、作者にいわせれば自分の手から離れているのです。

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3)「歩く男」という題の、これも晩年の作品です。若い頃は、そのころ流行していたシュルレアリスムや、キュビスムの方法をとり入れた作品を作ったりして試行錯誤するのですが、1940代半ばころから、この写真(3.2)にみるような、土をぎゅぅっと握り絞り上げたような人間像を作るようになりました。スライド、次をお願いします。

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4)これが人体像・人間像を制作中のジャコメッティです。次、お願いします。

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5)これが彼の絵画です。絵のほうでも、線をなんども引きながら、彫刻を作るときの人体像・人間像と同じような、細長い絞り上げたような人物像を、たくさん描いていきます。

これらの作品は、こうして彫刻と絵画と、少しだけ眺めても、人間という形態・姿の余分な脂肪分というか、あらかじめ人間──人体像とはこういうものだという通念や概念が与えてくれている人体としての特徴(属性といってもいいですね)、それをできるかぎり絞り上げ、削ぎ落としたような人物像なのです。もういちど人体像・立体の方のスライドをお願いできますか。2番がいいですかね。

この人体像のでこぼこした掌と指の跡の残ったような感触、これは太古の大昔、人間が初めて、土くれをぎゅっと握り締めて掌の中に人体像ができた、その初めて作ったときの感動というか、ときめき、そんなものを伝えてくれます。人体像が、どんな形をしているかというより、もっと触覚的というか、身体が感じているものを作っていく、そういう作りかたです。そこに、始まりの始まりを求めるジャコメッティの強い気持ちが表れています。じっとみていると、泥・粘土を掌の中につかみとったとき、そこに生命【いのち】、生命感といってもいい、そういう生命の鼓動のようなものが感じとれる。その感動がこちらに伝わってきて、かんたんに言葉にできない魅力にとりつかれます。

ここでもういちど、5番のスライドをお願いできますか。この絵は油彩画、油絵ですが、絵・絵画という面から考えても、ジャコメッティは色彩、色数を絞っていくんですね。さっき、石膏からブロンズ像を作り上げる過程と、ドローイングからタブローを作る過程は、手順としては似ているけれど、作者の身の入れかたは、ぜんぜんちがうということをお話しましたね。ところが、ジャコメッティは彫刻と絵画の両方で制作し、この二つの方法をいわば、自分にとっては同じというか、コインのそれぞれの面のようなつもりで制作していました。

彼の絵の色数が少ない一つの理由として、絵画という場面で彫刻の課題をこなそうとした、彫刻の抱える問題を絵画という場で解決しようとしていたからだという考えかたもできます。彼の絵は、彫刻制作の場面でいえば、石膏に取り組んでいるという感じです(ついでにつけ加えると、ジャコメッティが彫刻をやる時は、それに取り組みながら絵画の問題を解決しようとしていましたから、彫刻でドローイングしているという感じが強いですね)。ところで、いま絵画作品をスライドで見ていますが、絵も立体の像も、人体だけを造形しているように見えます。しかし(写真ではつかみ難いのですが。3番をお願いします)この細長い人体像は、単に人間の姿・形だけを見、考えているのではなく、その人間とその人間が置かれている空間の関係がいつも意識されて作られているのです。それはやはり、どこかの美術館で実物に接していただいて確認してもらいたいのですが、絵画のほうでちょっとそれを考えてみましょう。もういちど5番をお願いします。

この無数に引かれた線が人物の周辺に描かれている様子は、写真でもよく見えますね。人物のいる広がりのある空間──たとえば、街の広場とか、そういう広がりのある空間と人物・人間との関係をとらえたいという作品もあります。

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(スライド6をお願いします)「雨の中を歩く男」というタイトルで、1948年の制作です。こういうスタイルを初めてまもなくの頃の仕事ですね。その後、空間と人物(人体)への関心は、だんだん狭くなっていったようで、狭くなったというとちょっと変に聞こえますが、街とか広場とかの拡がりのある空間の中に置かれた人物の存在の問題というより、一人の人間がそこに存在する、そのぎりぎりの存在する条件としての空間へと絞られていったといえばいいでしょうか。

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彼の晩年の制作の関心は、だんだんそういう空間の問題へ集中していったようです。スライドをもう一つ、7番をお願いします。これはデッサンというより、クロッキーに近いスケッチ風ドローイング(まあ、呼びかたと分類はどれでもいいですが)色鉛筆で描いた「男と女」という題の作品です。1951年の制作ですから、早い頃のものです。さきほど見ました奥さんのアネットの絵と十年ほど時間差がありますが、いかに彼が同じ問題を追究しつづけていたかが判ります。これをみながらジャコメッティの空間の問題をもう少し考えてみたいと思います。

一人の人物・人体の輪郭が決定されるその瀬戸際というか、輪郭と接している空間のありかたというか、そういうものをなんとかつかまえたいとしているのが、汲みとれるのではありませんか。人間という存在の内面と外面を区切っているものはなんなのか。人物や物体の形を象る決定的な線は一本だけであるという古典的な考え──昔の人、とくに東アジアの古代の人たちは、中国の絵画などでは筆でもってそういう決定的な一本の生命と魂のこもった線で輪郭を作りました。ヨーロッパでは、物にはそもそも輪郭はないのだから、輪郭線を引くのは間違っているという考えが支配的になっていました。ジャコメッティはいわばこの東洋と西洋の輪郭についての考えかた両方のどちらにも組しないというか、依存しない考えを追究していったのです。

彼はモデルを前にして、こういう立体や絵を作るのですが、亡くなるときまで二十年間ずっと同じスタイルの作品を作り続けるのです。弟や友人や奥さんをモデルにして、何日も何日も、自分がこれでよしと思うまでやり直しては作り、やり直しては作るのです。同じような作品を作り、描いているように見えていますが、制作をつづけていくと、彼にはいつも、いままでつかまえることのできなかった見知らぬものが、制作過程のなかでみつかり、それをなんとか立体像や絵にしようとしていたのです。ですから、彼にとっては彼の仕事は、いつも未完成に終わってしまっていたのです。「あ!ここがうまく行かない、ちくしょう!」とか、呟きというよりは、わめきながら制作していたことが、彼のモデルになった人たちの回想録に記されています。

「同じ顔の中に、日毎見知らぬものが現れる。これほどすごい驚きはない。最高の冒険だ」というのは、ジャコメッティの言葉なんですけど、同じ人【モデル】と向かい合いながら、向かい合うたびに、そこに見知らぬものをみつけて、それをなんとかしなきゃと制作するんですね。それは、人物の表情や姿が日ごとに変わってみえるというような、印象派の考えかたとは異います。印象派の人たちは、どんな物もそれ自身の色というものはない、すべての物は光との関係のなかで色を変える。朝陽に当たる積藁と、昼の太陽、青空の下、夕方、それぞれ異り、それを描き分けなきゃいけないと考えたのですが、ジャコメッティがみつけた異いは、そういう視覚に訴えてくるものではなかったのですね。

それは、立体や絵に描き出された形というより、そういう形になっていく、もののありかたのもっと奥にある、奥に潜む動き──視覚(眼でみてつかまえるもの)を超え、絵筆を動かしたり土や石膏をこねたりして制作していく、そういう掌の感触が喚び起こすような感覚。それは、自分が生まれて最初に出会った存在の言葉や仕草、抱き締めたり、あやしたりしてもらっているときに全身で感じとっているもの、自分で言葉を口にのせることができる以前に、自分が受け取っている言語の根源的な原始的な構造を成すもの、それをさっきは、韻律・リズムのようなものといったのですが、そういう言葉や形になる前の動き、蠢きといってもいいかもしれません、そんなものをジャコメッティはつかまえたいと悪戦苦闘していたのです。そういう言葉や形になる前の動き、名状し難い蠢き、もしいいかえることができるなら、それは、人間という存在の活動の始まりの始まりにあったものへの予感といえるようなものではないでしょうか。

ふつうにいう意味での、形としては目に見えてこないものをなんとか形にしたい──さっき、ジャコメッティの細長い人物像は、いつもその周辺の空間を持っている、空間との関係のなかで人物像を追い詰めているといいましたが、それが同じ顔のなかに日ごと見知らぬものを見つけることでもあるのです。一人の人間の輪郭を作る空間、その関係をつかまえたい、その関係を描きたいとすればするほど、以前気づかなかった見知らぬものが見つかるのです。それは人物とそれに接する空間との関係のなかに隠れているものをみつけることだといえます。ということは、そういう人物の実体の形がどこかに隠しているものでもあります。実体のなかに隠れていると同時に、実体が形態として、形として、目に見えている姿としてあらわれているその姿の向こう=彼方から現れてくるもの。だから、人物という実体とそれと接する空間との関係としてしかとらえようのないものなのです。

いま実体の形などといいましたが、自分がいる空間のなかで実体といえる形は、その自分を取り囲んでいる空間が形づくってくれるものです。「実体の形」というのは、そもそもないともいえるのです。ジャコメッティの彫刻を、ぜひどこか広い美術館などで見て下さい(写真では無理なので)。ふと、その彫刻が、周りの空間のなかに、溶け込んでいるように感じ視える(彫像が背景に溶け込んでしまうように視える)ことがあります。ジャコメッティは、そういう空間に消えてしまうぎりぎりの実体の形を求めて、なんどもなんども、作っては壊し、壊しては作っていたのですね。そういう形のありかた、それは、生まれたばかりの赤ちゃんがはじめて接した存在(人間的存在、母あるいは母親代わりの人物)の言葉や仕草を韻律としてつかまえ、そこに自分以前の自分(自分になる前の自分)を感じているだろう、そういう関係が教えてくれているものと同じもの、相似のもの(同質といってもいいもの)ですね。

ちょっと話が逸れますが、韻律の働きというのは、それが目に見えない分、とても大きいのです。人間の身体の奥底に作用するもので、韻律に身を任せ、そこに自分以前の自分を感じるのは、歌を歌う行為などによく現れています。歌を歌うとき、人は、一人で歌ってもみんなで歌っても、我を忘れてしまうような陶酔感を味わうことができます。なぜ、あんなふうに陶酔できるのか、それは韻律の働きによるもので、一人の人間が生まれ、この世に登場し、はじめて他者としての人間の存在を感じさせるものだったのですね。韻律は、自分のなかに棲みついている他者(共同体)の声、人間の個としての存在のなかに住みついている共同体の魂の脈動のようなものです。その意味で、普遍的な存在を装った囁きです。

こうしてジャコメッティは、やり直しては作り、またやり直して、その韻律と通じる姿を形にしようとしていたといっていいのですが、そういう悪戦苦闘ぶりは、ちょっとだけみていただいた写真からでも伝わってくるではありませんか。

そうして作っては出直し、作ってはやり直していくとき、彼は、一つの作品を仕上げようとして、ああまだだめだと気がつきます(おそらく、そのとき、もうちょっとなんとかしたらなんとかなるという予感も、彼のなかでは強く働いていたのでしょう。つまり、始まりの始まりにあった言葉にし難い動き、胎動、韻律といっていいものは、彼は、制作を進めているとき、もうすぐそこに届くように感じられていたのでしょうね)。しかし、やっぱりだめなのです。そのとき、彼はやっぱりだめだと思った作品を「エーイ、失敗作だ」といって壊しはしませんでした(もちろん、壊したものもたくさんあります。しかし、いくつかはのこしておきました。それをブロンズにとってのこしておきました)。失敗作だけど、それをのこしておくことで、それを参照すると、さっきあんなに近づけ実現できそうに思えた予感を、呼び戻すことができるのではないか、と考えたからかもしれないと思います。

幸い彼がのこそうとしてくれたおかげで、わたしたちはそこからいろんなことを教わり、考えさせてくれるし、一種の感動に引き込まれて行きます。その感動は、失敗作だけど完成に最も近くまでいくことのできた失敗作だというのを感じるところからきているように思います。失敗作か完成作か、なにが失敗作でなにが完成作かという問題は、とても難しいですね。レヴェルの高い失敗作は、はるかに大きく深い感動を伝えてくれます。でも、考えてみたら、やり直しができるということは、すごいことです。やり直すということは、まず勇気が要ります。自分を甘やかさない厳しさと、すごいエネルギーと集中力が要ります。そして、もう一つ大事なことは、やり直すということは、始まりの始まりへ向かって、問いを発することだということです。(スライドはこのへんで。)

さて、こうしてジャコメッティの仕事振りをみていきますと、みなさんがこれから勉強して身につけていこうとされている技法も、単に目に見えるものを、それぞれのスタイルに仕立て上げる技術だけなのではなく、存在するものの姿の目にみえない動き(それをさっきは蠢きとか、韻律とか呼びましたが)、それを描き出そう、作り出そうとすること、そして、絶えずやり直していけるだけの勇気と力をもつことこそ、いちばん深い意味と、大切な役割があるのだということを教えられるではありませんか。このことをぜひ、忘れないでいてほしいです。

夜、お天気のいい日、外へ出て、この岩倉のあたりだと、京都の街の中心部よりも空気が澄み切っていますから、その夜空にたくさんの星が瞬いているのがみえるでしょう。天文学を勉強した人なら、それらの星と星をつないで、図形を作り(作りというより、仮定してと言ったほうがいいですね)、その図形に白鳥座だとか、牡牛座だとか名前をつけ、それぞれの星座の物語までたのしむことができます。こういう星座は、古代ギリシャ時代に、ギリシャの人びとが考えたのがいちばん普及していますが、古代の中国でもエジプトでも、そのほかの大陸の人びとも、それぞれに星と星をつなげて、図形図像を作り上げることはやっていました。大昔の人類は、地球上のどこにいる人も、星空をみつめて、世界を宇宙を(当時は宇宙という言葉はなかったでしょうが「天」とか、いろんな別の言葉で名付けて)、その姿、ありかたを考えていったのでした。

一見、眺め渡せば、ただ雑然と散乱しているかのような星たちに、人間は、図像図形を読みとり、ただ図像図形を描くだけでなく、そこに深い意味とメッセージさえ読みとってきました。星占いなど、みなさんも結構気にして、喜んでみたり、悲しんでみたりしているのではありませんか。古代の人は、星空を仰いで、自分と自分を取り囲む世界や宇宙(天)との関係を測定したのですね。星座を描く、星座を読むということは、自分という人間と世界=宇宙との関係を測定することなのです。そこから未来を占うホロスコープも成立していきました。占星術【ホロスコープ】は長い歴史を経て、定式化された星座の概念に基礎を置いていますが、そういう星座の概念・構図が形成されていく始まりの始まりのころは、もっといろんな人が、いろんなイメージを、あの星空を眺めて構想していたことでしょう。

みなさんは、星空を仰いで、そんなあなたの美の星座を想い描いてほしいと思います。もちろん、星空を仰いで自分自身の星座を描くというのは一つの比喩で、星座を描くということは世界と自分の関係を読み、測定することなのですから、あなたがたひとりひとりが、この世界をいかに生きるか、世界との関係をどのように測り、測定したか、つまり、世界との関係をどう考え、つかまえたかということを、一つの図像として記述することにほかなりません。くりかえしますが、星座に名前をつけるということは、自分と世界=宇宙との関係を測定する想像力と推理力を駆使して推し計るということなのです。自分と宇宙との関係を測定するということは、自分とはなにか、この世界を自分はどう生きていくかを考えることです。星座に名前をつけ、物語を紡いでいった古代の人は、こうして自分たちの生きかた、世界のありかたを考え占ったのです。それが占星術の始まりです。

ところで、夜空にそんな星座の知識を持たず、晴れた日の夜空を仰ぎますと、とにかく星がいっぱい瞬いています。この星は、明るく輝いているのもあれば、もう肉眼では辛うじて確認できるような、かぼそい光を放って瞬いているのもあります。それぞれの星の光は、長い時間をかけてこの地上に届いてきます。なかには、何億光年かけて届いてくるのもあります。いまみている、ある星の瞬きは、何億年か前の姿なのですね。われわれが生きている時間のはるか彼方、そんな遠くの姿をいま現在のわれわれに、生きて見せているのです。つまり、夜空に、平板に、散らばっている星はそれぞれの長い深い時間を隠しているわけです。星座を作るという作業は、そういう時間差のある星を同一平面に線で結んで図にして出来上がるのですが、そしてわれわれは、ついついその平面の図形だけをみて、星座を知ったつもりでいます。しかし、その一つ一つの星座に、それぞれの長い時間が隠れていることは、どこかで感じているものです。身体の細胞のどこか隅の方のところで、あの星の瞬きに包みこまれた時間を感じているんですね。

今日のボクの話のタイトルは「それぞれの星座を!」としていますが、星座に名前をつける、星座をみつけるということは、美の制作をすることのいちばんふさわしい喩えとなるわけです。現代の世の中は、とても混沌としています(まるで夜空の星のように散乱しています)。その混沌とした世界に、あなた自身の美のまなざしをもって秩序を与えていく。ここに、みなさん、これから芸術という世界に携わっていこうとするみなさんの仕事の最も大切な意義があると思います。

もちろん、政治や経済や工業技術や医学やいろんな分野も、この混沌とした世界や社会に独自のまなざしと手法をもって整理し秩序を与えていく大切な仕事ですが、芸術と呼ばれる仕事は、そういういろんな実際的な分野の人間の営みを、いちばん深いところで、いつもその始まりの始まりへの問いを失わないで考える貴重な分野なのです。われわれ人間の活動も、美の営みも、人類の営みのそれぞれの足跡や試みは、夜空の星のように散らばっています。それらを、星座を読み解くようにそれぞれの手と知恵で作っていくこと、それは自分の手と頭脳・ハートを使って、この混沌とした世界に自分なりに読み取り、自分なりの秩序を与えていくことでもあります。そうして一つの秩序の表現として現れたものが、あなたの作品なのです。

その読み取りは、みなさんのそれぞれの人生のステージで、みなさんがそれぞれ置かれている現状によっても、いろいろさまざまな形・姿をみせてくれるでしょう。その場面場面のなかで、せい一杯、自分自身の美の星座を描き作っていって下さい。みなさんがこれから作っていく作品の一つ一つが、あなたの作った星座です。そして、そういう一つ一つの星座を作っていくあなた自身の、これからの人生の営みも、小さな星座をいっぱいに組みこんで、大きな星座になるのです。美しい感動的な星座を作りつづけるよう勉強して下さい。

2010.4.5 於 京都精華大学