2025年1月18日 <土曜の午後のABC>年頭挨拶
木下長宏
年賀状いただいたみなさん、いただけなかったみなさん、今年はこちらから新年のご挨拶も出来なく、すみません。
11月の終りごろ、急性細菌性前立腺炎という病気に見舞われ、すぐ快癒するだろうとドクターもボク自身も思っていたのですが、カテーテルがなかなか外せず(一か月かかって)やっと外した翌日から局部に痛みが走り、高熱を発し(それが年末も年末、病院も長期休暇に入る直前)、抗生物質をいただいて小康状態になったところで、越年。三日にはかねてから約束していた食事会に出席出来るほどにまでになったのですが(さすがワインは控えましたが)、美食と大食を受け止める体力ではなかったようで、翌日はダウン。…と愚かな年末年始の日々を重ねて今日に至りました。
で、いまだに身体は病人なのですが、気力は新しい歳月に向かって充実させております。
岡倉天心研究会からは、3月5月と二回にわたって『易経』について語れとのご依頼。これは大仕事、勉強のやり直しを始めています(『易経』を勉強すると『老子』全体を見直せねばという事態に自分が追い込まれていることを発見—こんなことを病気に苛められながらやっています)。
ABCも負けてはいられません。今年こそ、老子の総見直しを終えさせて、<美>と<利>の思想の発掘を続けて行きたいと思っております。
古事記についても、上つ巻神代篇の真ん中あたりを飛ばして、終わり近くの木花佐久夜毘賣が登場するところを読んだのが去年の最後(12月14日)のABCでした。出来るだけ早く上つ巻を読み終えたいのですが、1月8日(土)は、隔月で連載している『八雁』に書いたことを読みたいと思います。そのうちの一つはすでに12月にお配りした「「と」の音幻論」(仮題)です、それからこの一月に出たばかりの一文を読みたいと思います。
ふたつ合わせて1月のABCのタイトルを、
<声>を<文字>へ———過渡期の文体としての『古事記』から学こと
としておきます。
日本の古代、中国大陸の古代の文化を勉強して行くと、現代の世界における日本の問題が手に取るように迫って来ませんか。
☆
追伸:このご挨拶といっしょにお送りしたいのは、11月に森脇孝介くんかもらった手紙、広島でホメロスを原文で読み続けている森脇君。彼の視点から寄せてくれた意見。ボクたちの思索にいい刺激を与えてくれそうです。
もう一つは、この夏の「もう一つのABC」を記録していただいた味園さんのメモです。単なる報告に終っていなくて、その後の質問カードに記入してくれた椋本、工藤両君の問いにボクが答えていることなども記録していただいています。ここから、またいろんな議論が生まれそうで、ABCのあと食事会とか、いろんな機会を見つけて議論が出来たらなぁと、ここにお送りしておきます。
さらに追伸:<土曜の午後のABC>のHP、イントロエッセイを更新しました。読んで感想ご意見を聞かせてください。