「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」
ちょっと、まだ口遊むには早い一首だが、こんなに酷暑が続くと、こんな歌でも想い起して涼を待ちたくなる。
平安時代に作られた和歌のなかでも、これは現代でも親しまれている一つだろう。
この歌は、おそらく最初は、「あききぬと…」と全平仮名で書かれ、この「あき」は「秋」を指示すると同時に「飽き」を含意して詠まれていたはずである。
掛詞という用語は古くからあった。歌や絵やいろんな工芸品に、こうした二重の意味messageと像 imageを持たせることは、日本列島の表現行為の伝統、というより初源から綿々と続く慣いであった。江戸以前では、意味と像の二重化は佳作の条件だった。
近代になって、西洋合理主義を万能とする考えかたを身に着けてしまったわれわれは、もういちど、眼を洗って、列島の遺産を眺め直すときが来ているのではないか。
「さぎをからすといふたがむりか あをひの花はあかくさく いちはの鳥を二はとりと ゆきといふじをすみでかく そをれそをれ そうじゃかへ」(「江戸端唄集」より)
(2024.7.16)