未知の世界への畏怖を

いつの時代でも、人は、いま自分が持っている知識で、世界を解釈し理解しようとしてきた。
しかし、時を経るとともに、自分たちは発展進歩していると思い込んで、じつはそうして獲得した知識とは情報量が増えただけだということに気づかないできた。そして、その増加に反比例するかのように、自分たちの知識が及ばない世界への畏怖の心を鈍化させてきたことを忘れていったのではないだろうか。

人間の視覚域の外側と内側に紫外線や赤外線があることを発見したあと、その視覚域外の光線を測定する器械を考え出し、それで視覚外域の世界を知ることが出来ると思っているように、未知の領域を自分たちの知識と技術で解明出来ると疑わないのが現代である。

未知の世界への畏怖の念(おもい)――しかし、それは法律で押し付けたり宗教信仰のように共同化を求めるものであっては、良い働きをしないだろう。一人ひとりが、個の自覚のなかで畏怖の感情と知性を育てた念でなければならない。

(2023.10.15)