CATEGORY

essay

解っていないことを伝え合う大切さを

20世紀は、知っていることだけを伝え、知っていることだけを確信をもって語ればいいと了解し合い、知っていることだけを使って事業を推進しようとしてきた。それが、どんな過ちを犯してしまうか、それを21世紀の10年目に思い知らされた(たくさんの例をあげることができるが、いま、ここでは3月11日の地震と津波、そして「フクシマ」を挙げておくだけにする)。 知っていることを分け合って確認し合うのではなく、解って […]

あの日から二年、

横浜で地震を経験したときには、そのあと、あんなにひどい事態になるとは、思いもしていなかった。 「3月11日」とそれ以降にこの日本列島で起ったことは、それから二年経つが、まいにち、思い返さないことはない。それについて自分にはなにができるのか。なにをしなければならないのか。──マスコミは、この日が近づくと、ことさら、というか、あらためて、この「日」の特集を組む。そういうふうに、特別の照明を当てようとす […]

タイトルとはなんだろう?

作品のタイトルは作者がつけるもんだ、といまでは誰もそのことを疑わない。しかし、絵の場合、作者が責任をもって自分の作品のタイトルをつけるようになったのは、20世紀に入ってからのことである。 ゴッホは、ほとんど自分の作品にタイトルをつけていない。現在われわれが親しんでいる「烏の群れ飛ぶ麦畑」も、ゴッホが死んでずっと後に慣習化した呼び名だ。 タイトルと作品の内容は、それぞれに干渉し合う。そういうタイトル […]

水俣病の歴史は現代日本史の鏡である。

水俣病の特別措置法が今日で打ち切られる。今後は、どんな水俣病の発症者が見つかっても相手にしないというのである。 いままでも、現実に水俣病としか考えられない病状を見せている人に、住んでいた場所や発症時期が規定の外であるというだけで認定してこなかった日本政府である。水銀の毒性の有効期間を規定しているのは現代科学である。一つの立場としての「科学」の実証で、世界の「全現象」を判定できないことを思い知らされ […]

画の六法の読みかた

『美を生きるための26章』の最後の章で、ボクは「画の六法」の解釈をしていて、結構解ったつもりになっていたが、なんと浅はかだったか、といま反省している。たとえば、「応物象形」を「物に応じて形を象(かたど)る」と訓(よ)んでいるが、そう読むかぎり、近代合理主義の解釈に溺れていることに気がついていなかった。「物に応じて形を象る」のは近代の「写実」の方法である。ここは、「物と応じて形を象る」と訓まなければ […]

門出を祝って

Aさん、Sくん、結婚おめでとう! そして、今日の二人の姿を見守っておられるそれぞれのご両親にも、おめでとうを申上げます。桜が全開でお二人の門出を祝っています。 Sくんは、ボクが横浜国立大学に勤めていたときの最後のゼミ生の一人ですが、ボクが退職して私塾を開いてからは、その運営を助けてくれている頼もしい仲間の一人で、いまは、ボクの年若い友人と呼びたい。もう十年近い交流が続いています。 半年ほど前、Sく […]

あれから一年

「3.11」(サン・テン・イチイチ)という言いかたを、ボクはしたくない。「3月11日」(サンガツ・ジュウイチニチ)と、ていねいに呼びたい。「2011年の3月11日」とゆっくり発語しているそのなかで、押し寄せる津波や爆発する原子力発電所の建屋、相馬の友人が語っていた廃墟に群がる烏、地震と津波と原発事故で滅茶々々にさせられた人たちの顔、顔、顔、声、仕草が甦るように浮んでくる。 「3.11」と呼ぶと、あ […]

レオンハルト哀悼

レオンハルトが亡くなったという報せをうけとった。 人はいつかは死なねばならないし、レオンハルトは享年83歳だから、その訃音を穏やかに聴いてもいいのだが、なぜか、とてつもなく大事な人を失った気がして悲しい。 去年5月に、津田ホール、明治学院チャペル、東京文化会館小ホールで聴いたのが、氏の最後の演奏になった。明治学院チャペルのオルガンも忘れられない(演奏する氏に背を向け聴くのだ。そとは台風2号が近づく […]

皆既月食が教えてくれたこと

12月10日の皆既月食を見ていて、気づいたことがある。日頃見ている月は、「まぁるい、まぁるい、まん円い」などというが、この円さは、鏡のように平べったい。 ところが、月が完全に地球の影のなかに入ったとき、月の姿は、いつもより、はるかに立体的で、球として現われて見えた。これが月の実像だと言い切るのはためらわれるが、少なくとも、影のなかにいるとき、月は、太陽の光に照らされて見えている月とはちがう姿を見せ […]

山鴫料理を味わう。

イタリアから帰ってきて、蕎麦や焼魚や味噌汁、寿司、あるいはラーメンとかカレーとかへ向っていたが、久し振りに、泰明小学校の前にある「オ・バカナール」を訪れた。と、シェフが、今日のメニューには載せられないけど、山鴫(やましぎ)が一羽入ってます、いかがです、という。そんなジビエは予期していなかったが、これはいただかないわけにはいかない。 前菜には、シェフが自分の楽しみに作っているという(つまりこれもメニ […]