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essay

画の六法の読みかた

『美を生きるための26章』の最後の章で、ボクは「画の六法」の解釈をしていて、結構解ったつもりになっていたが、なんと浅はかだったか、といま反省している。たとえば、「応物象形」を「物に応じて形を象(かたど)る」と訓(よ)んでいるが、そう読むかぎり、近代合理主義の解釈に溺れていることに気がついていなかった。「物に応じて形を象る」のは近代の「写実」の方法である。ここは、「物と応じて形を象る」と訓まなければ […]

門出を祝って

Aさん、Sくん、結婚おめでとう! そして、今日の二人の姿を見守っておられるそれぞれのご両親にも、おめでとうを申上げます。桜が全開でお二人の門出を祝っています。 Sくんは、ボクが横浜国立大学に勤めていたときの最後のゼミ生の一人ですが、ボクが退職して私塾を開いてからは、その運営を助けてくれている頼もしい仲間の一人で、いまは、ボクの年若い友人と呼びたい。もう十年近い交流が続いています。 半年ほど前、Sく […]

あれから一年

「3.11」(サン・テン・イチイチ)という言いかたを、ボクはしたくない。「3月11日」(サンガツ・ジュウイチニチ)と、ていねいに呼びたい。「2011年の3月11日」とゆっくり発語しているそのなかで、押し寄せる津波や爆発する原子力発電所の建屋、相馬の友人が語っていた廃墟に群がる烏、地震と津波と原発事故で滅茶々々にさせられた人たちの顔、顔、顔、声、仕草が甦るように浮んでくる。 「3.11」と呼ぶと、あ […]

レオンハルト哀悼

レオンハルトが亡くなったという報せをうけとった。 人はいつかは死なねばならないし、レオンハルトは享年83歳だから、その訃音を穏やかに聴いてもいいのだが、なぜか、とてつもなく大事な人を失った気がして悲しい。 去年5月に、津田ホール、明治学院チャペル、東京文化会館小ホールで聴いたのが、氏の最後の演奏になった。明治学院チャペルのオルガンも忘れられない(演奏する氏に背を向け聴くのだ。そとは台風2号が近づく […]

皆既月食が教えてくれたこと

12月10日の皆既月食を見ていて、気づいたことがある。日頃見ている月は、「まぁるい、まぁるい、まん円い」などというが、この円さは、鏡のように平べったい。 ところが、月が完全に地球の影のなかに入ったとき、月の姿は、いつもより、はるかに立体的で、球として現われて見えた。これが月の実像だと言い切るのはためらわれるが、少なくとも、影のなかにいるとき、月は、太陽の光に照らされて見えている月とはちがう姿を見せ […]

山鴫料理を味わう。

イタリアから帰ってきて、蕎麦や焼魚や味噌汁、寿司、あるいはラーメンとかカレーとかへ向っていたが、久し振りに、泰明小学校の前にある「オ・バカナール」を訪れた。と、シェフが、今日のメニューには載せられないけど、山鴫(やましぎ)が一羽入ってます、いかがです、という。そんなジビエは予期していなかったが、これはいただかないわけにはいかない。 前菜には、シェフが自分の楽しみに作っているという(つまりこれもメニ […]

システィーナ礼拝堂の地獄

システィーナ礼拝堂の頭上には、ミケランジェロの30台のときの大仕事「天地創造」の天井画が拡がり、奥には、60台にとりかかった壁画「最後の審判」が立ちはだかっている。そこでは、誰もが、no photo!を繰返し叫ぶ守衛の声を呑み込んで蠢く不気味な雑踏のなかの一人になる。 60歳台のミケランジェロが描く天国は、観れば観るほど、死んでもあんなところに召されたいとは思えない。絵の下方は、まさにダンテの綴る […]

だれにもわからない日本語が殖えてきた。

現代の日本語は、そのうち、書いた人とその人の所属するグループの範囲でしかわかりあえないようになってしまうのではないか。専門家の書く文章は、とりわけ、その気配が濃い。その小さい世界でわかりあって、安心している。当人は、伝えたいことの精度をより高くしたいと願っているのだろうが、そう思えば思うほど、だれにも通じない日本語が出来ていくようだ。 東京電力が作成した被害の賠償請求手続きを説明する書類が部厚過ぎ […]

誰もが小役人の現代

歩くのがやっとのような杖にすがった爺さんが郵便局にやってきて、順番カードをとり、長いあいだ待って自分の番がきた。窓口で、 「あのぅ、千円札がやぶけちゃって、取り換えていただきたいんだが」 「あ、ゆうちょでは換金はできないんです。銀行へ行っていただけますか」 と窓口の係は40前の男性だった。 爺さんは、ブツブツ言いながら郵便局を出ていく。 窓口の男性よ、「あ、ちょっと待って」と自分の財布から千円札を […]

変容への意志

〈3.11〉がわたしたちの思考に告げた一つの大切なこと; それは、それまで当然のように、日々の生活の基本要素として受け止めていたことが、ふいにかんたんに、崩壊してしまうということだった。 この出来事は、あの日だけ「例外」的に起ったのではない。人間の生活というのは、そういう突然の崩壊をつねに抱えている。生きていくということは、そういう崩壊・変貌を、それこそを「当然」のことと考えて日々を営むことでなけ […]