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essay
皆既月食が教えてくれたこと
12月10日の皆既月食を見ていて、気づいたことがある。日頃見ている月は、「まぁるい、まぁるい、まん円い」などというが、この円さは、鏡のように平べったい。 ところが、月が完全に地球の影のなかに入ったとき、月の姿は、いつもより、はるかに立体的で、球として現われて見えた。これが月の実像だと言い切るのはためらわれるが、少なくとも、影のなかにいるとき、月は、太陽の光に照らされて見えている月とはちがう姿を見せ […]
システィーナ礼拝堂の地獄
システィーナ礼拝堂の頭上には、ミケランジェロの30台のときの大仕事「天地創造」の天井画が拡がり、奥には、60台にとりかかった壁画「最後の審判」が立ちはだかっている。そこでは、誰もが、no photo!を繰返し叫ぶ守衛の声を呑み込んで蠢く不気味な雑踏のなかの一人になる。 60歳台のミケランジェロが描く天国は、観れば観るほど、死んでもあんなところに召されたいとは思えない。絵の下方は、まさにダンテの綴る […]
だれにもわからない日本語が殖えてきた。
現代の日本語は、そのうち、書いた人とその人の所属するグループの範囲でしかわかりあえないようになってしまうのではないか。専門家の書く文章は、とりわけ、その気配が濃い。その小さい世界でわかりあって、安心している。当人は、伝えたいことの精度をより高くしたいと願っているのだろうが、そう思えば思うほど、だれにも通じない日本語が出来ていくようだ。 東京電力が作成した被害の賠償請求手続きを説明する書類が部厚過ぎ […]