解っていないことを伝え合う大切さを
20世紀は、知っていることだけを伝え、知っていることだけを確信をもって語ればいいと了解し合い、知っていることだけを使って事業を推進しようとしてきた。それが、どんな過ちを犯してしまうか、それを21世紀の10年目に思い知らされた(たくさんの例をあげることができるが、いま、ここでは3月11日の地震と津波、そして「フクシマ」を挙げておくだけにする)。 知っていることを分け合って確認し合うのではなく、解って […]
20世紀は、知っていることだけを伝え、知っていることだけを確信をもって語ればいいと了解し合い、知っていることだけを使って事業を推進しようとしてきた。それが、どんな過ちを犯してしまうか、それを21世紀の10年目に思い知らされた(たくさんの例をあげることができるが、いま、ここでは3月11日の地震と津波、そして「フクシマ」を挙げておくだけにする)。 知っていることを分け合って確認し合うのではなく、解って […]
作品のタイトルは作者がつけるもんだ、といまでは誰もそのことを疑わない。しかし、絵の場合、作者が責任をもって自分の作品のタイトルをつけるようになったのは、20世紀に入ってからのことである。 ゴッホは、ほとんど自分の作品にタイトルをつけていない。現在われわれが親しんでいる「烏の群れ飛ぶ麦畑」も、ゴッホが死んでずっと後に慣習化した呼び名だ。 タイトルと作品の内容は、それぞれに干渉し合う。そういうタイトル […]
水俣病の特別措置法が今日で打ち切られる。今後は、どんな水俣病の発症者が見つかっても相手にしないというのである。 いままでも、現実に水俣病としか考えられない病状を見せている人に、住んでいた場所や発症時期が規定の外であるというだけで認定してこなかった日本政府である。水銀の毒性の有効期間を規定しているのは現代科学である。一つの立場としての「科学」の実証で、世界の「全現象」を判定できないことを思い知らされ […]
12月10日の皆既月食を見ていて、気づいたことがある。日頃見ている月は、「まぁるい、まぁるい、まん円い」などというが、この円さは、鏡のように平べったい。 ところが、月が完全に地球の影のなかに入ったとき、月の姿は、いつもより、はるかに立体的で、球として現われて見えた。これが月の実像だと言い切るのはためらわれるが、少なくとも、影のなかにいるとき、月は、太陽の光に照らされて見えている月とはちがう姿を見せ […]