感性を鈍らせるのはいとも簡単……
ボクが、数少ない美味しい蕎麦を出してくれると思う店があって、以前はよく通ったが、近頃は、仕事と住いの関係から足が遠のいていた。ときどき、その店に行きたいと思うことがあっても、忙しさにかこつけて、わざわざ腰を上げなくなっていた―ということは、いつのまにやら「美」に対する貪欲さを鈍らせていたのかもしれない。 先日、久し振りにその店を訪ね、驚いた。味の質を落さないで続けている店主の腕と心意気にも敬服した […]
ボクが、数少ない美味しい蕎麦を出してくれると思う店があって、以前はよく通ったが、近頃は、仕事と住いの関係から足が遠のいていた。ときどき、その店に行きたいと思うことがあっても、忙しさにかこつけて、わざわざ腰を上げなくなっていた―ということは、いつのまにやら「美」に対する貪欲さを鈍らせていたのかもしれない。 先日、久し振りにその店を訪ね、驚いた。味の質を落さないで続けている店主の腕と心意気にも敬服した […]
いつも汚れた海を漂っていると、その水の汚れていることに気がつかなくなる。それどころか、もっと綺麗な水のところへ行くと、それを毒だと思って避けてさえしまう。これは、生きものが持っている本能に近い慣性的感性反応である。思想や信条も、この反応を利用して大衆化され、日々の生きかたも、この感性反応に支配されがちである。 だからこそ、もっと綺麗な水がどこかにあることを夢見ることを忘れてはいけない。綺麗な水と出 […]
20世紀は、知っていることだけを伝え、知っていることだけを確信をもって語ればいいと了解し合い、知っていることだけを使って事業を推進しようとしてきた。それが、どんな過ちを犯してしまうか、それを21世紀の10年目に思い知らされた(たくさんの例をあげることができるが、いま、ここでは3月11日の地震と津波、そして「フクシマ」を挙げておくだけにする)。 知っていることを分け合って確認し合うのではなく、解って […]
作品のタイトルは作者がつけるもんだ、といまでは誰もそのことを疑わない。しかし、絵の場合、作者が責任をもって自分の作品のタイトルをつけるようになったのは、20世紀に入ってからのことである。 ゴッホは、ほとんど自分の作品にタイトルをつけていない。現在われわれが親しんでいる「烏の群れ飛ぶ麦畑」も、ゴッホが死んでずっと後に慣習化した呼び名だ。 タイトルと作品の内容は、それぞれに干渉し合う。そういうタイトル […]
水俣病の特別措置法が今日で打ち切られる。今後は、どんな水俣病の発症者が見つかっても相手にしないというのである。 いままでも、現実に水俣病としか考えられない病状を見せている人に、住んでいた場所や発症時期が規定の外であるというだけで認定してこなかった日本政府である。水銀の毒性の有効期間を規定しているのは現代科学である。一つの立場としての「科学」の実証で、世界の「全現象」を判定できないことを思い知らされ […]