岡倉覚三のアジア史構想を覗く

今回は、岡倉覚三が『日本の覚醒』という著書の巻末に、見開きで付けた「年表」を読みます。

岡倉は、ここで「アジア」が本来、昔から、いかに表立たないところで、結びつき合い、それぞれの文化を養い育てようとしていたか、それは「同盟」というような軍事的政治的結びつきではなく、「人類愛」というべき人間的な衝動によって繋がっていたことが見える、弱い繋がりであった。それを、物欲と自己所有欲の強いモンゴル族や近代ヨーロッパが踏みにじってしまった(☆)。その動きを見開きで見せようとする、単純簡潔だけれど野心的な年表です。

見開きをひと息に眺めると、その盛衰の様相が、楽譜を見るように読めてくる、とでも言えばいいか。

近代の実証を重視する歴史の方法では説明が出来ない(したがって近代歴史学では採用しない)、<時>と<地>が織り成す<歴史の交響詩>と言えば、いささか頭に乗り過ぎているでしょうか。

しかし、いまやわれわれは、近代の学問の成果をあまりにも信じ、そんな世界観で全人類史を処理してしまってはいないか。もういちど、そういう枠組の外から、全世界を眺め直す眼を養いたい、岡倉の作ってくれた年表はそんなことに役立ちそうな気がします。

というわけで、今回の資料は「『日本の覚醒』巻末年表(私訳)」とその「註釈」です。

                               木下長宏


「物欲と自己所有欲」から言えば、中国の支配者たちも、暴力の限りを尽くし権力の座を奪ったことでは同類です。しかし、蒙古モンゴルの侵略者とヨーロッパ近代のそれとでは大きな違いがある。中国古代の支配者やモンゴルの征服者は、侵略し略奪した大陸の既存の文化に敬意を払って、それを継承しようとさえした。焚書を断行した秦の始皇帝ですら、ヨーロッパ近代ほど破壊的ではなかった。イスラムとヒンドゥーの戦士たちは敵の勢力を壊滅させても文化には敬意を払った。昔のイスラムは石窟の佛像(のとくに顔)を徹底的に破壊したが、佛教徒の生活を壊さなかった(偶像崇拝を許さなかっただけだと言ってもいい)。ヨーロッパ近代は「アジアの生活」を根本的に変えるまで破壊的だ。古代アジアの支配者たちの「所有欲」は、「精神的」なものだった。だから、美術品はことのほか大切にした(始皇帝の焚書のような例外もあるが)。彼らは少なくとも、自分を「天子」にしてくれる教条(信仰)が侵されない限り、他宗教には寛容だった。ヨーロッパが他宗教を許さないのは、ローマ以来の伝統である。—岡倉はこんなことを言おうとしています。