笑いを忘れたカナリアは…

現代人は、昔の人のように笑わなくなった。笑いかたも変ってしまった。

展覧会などに行っても、「福富草子」の前で、誰も笑っていない(ボクも笑わない)。

「鳥獣戯画」だって、まずは笑うのが目的の絵ではなかったか。「笑いの本願」で柳田國男もいっているような、昔の人の高笑いはできないにしても、昔の人はこれをみて大笑いをしていたんだということを知り直し、もう少しボクたちの暮しのなかに「笑い」を復活させたいと思う。

笑い、なにか予期しないことが突然現れたとき起る。そして、柳田風に言えば「眼の前の現実を忘れさせてくれる」。ボクの記憶を辿ると、漱石の『吾輩は猫である』をなんにんかで朗読していたとき、ある箇処にきて、笑いが止まらなくなって読み進められなかった。あれは、二年以上前だから、ボクはもう二年も大笑いしていないことになる(ジーンと来て眼を潤すというのは最近までなんどもあるのだが)。

2010.11.07