画の六法の読みかた

『美を生きるための26章』の最後の章で、ボクは「画の六法」の解釈をしていて、結構解ったつもりになっていたが、なんと浅はかだったか、といま反省している。たとえば、「応物象形」を「物に応じて形を象(かたど)る」と訓(よ)んでいるが、そう読むかぎり、近代合理主義の解釈に溺れていることに気がついていなかった。「物に応じて形を象る」のは近代の「写実」の方法である。ここは、「物と応じて形を象る」と訓まなければなるまい。

「物と応じる」というのは、たんに「見る」こと以外の働きが要求されている。表面には見えない「神(しん)」「骨気」を観じようという姿勢である。

最近、平治物語絵巻や雪舟、光琳や蕭白、昔の中国の絵などを観ていて、このことに、つまりボク自身が相も変らず近代の毒を弄んで平気でいることに、はっと気づかされたというわけである。光琳、蕭白よりもうすこし後の頃までは「物と応じて」絵を描いていた。そのことを知って、日本や東アジアの古い絵を観ると、観かた(観じかた)が変ってくる。そうすると、日頃の暮しのなかでの他者への心がけも変ってくるにちがいない。

2012.5.25